私の夫は、子供の頃、とても苦労したようです。子供の頃のことを

話題にすると、なんだか不機嫌になるので、訊かないことにしています。


お母さんが病弱で、ちょっと変わったお父さんで(うちの父なんか、とっても

変わった人なので、逆にほっとしました。真面目でお堅いお義父さんだと

こっちが恐縮しちゃいますから。)、4人兄弟で、奨学金で大学行ってたら、

まあ、大変だったんだろうなあと、推測できます。


6、7年位前に、夫のお姉さんと話す機会があって、お姉さんが子供の頃の

思い出話をしてくれました。お姉さんは、とても明るくて楽しい人で、

面白おかしく話していましたが、私は夫がかわいそうで悲しかったです。

私の想像以上に辛い子供時代でした。


でも、この辛い時代があったからこそ、今の強くて優しい夫がいるんだろうなあと

思います。



結婚した当初、感じたことがありました。夫は、人をあまり信じられないようでした。

私の愛さえ、心の底から信じてくれていないのではないかと、ふとした夫の

言動から、感じることがありました。


お姉さんの話を聞いて、この辛かった子供時代にその原因があったんだろうなと

思いました。



私は、人に自分のことをとやかく言われたり、指図されるのが

あまり好きではありません。

夫も多分、そういうタイプだと思います。


だから、さりげなーく、なんとなーく、でも、時には、はっきりと、

私はあなたを愛してる。

私はあなたを信じてる。

というメッセージを送り続けています。



最近、夫は変わってきました。なにか、夫の心にあった薄いヴェールの

ようなものがなくなってきた感じがします。


でも、今朝、ある方に言われて気付きました。夫の愛と力を

信じていなかったのは、私の方だったと。私こそがヴェールを被っていたんだと。

今は、心の底から夫の愛と力を信じてます。


今、夫は仕事のことで、苦労していて、辛そうなんですが、

夫の力を信じて、そっと、見守ることにしました。



相手に、自分の気持ちを分かってほしいって、誰でも思いますよね。

私の愛を分かってほしいって思いますよね。そういう気持ちで心が

いっぱいになって苦しい時、私が唱える魔法の言葉があります。



あー 主よ 私に


慰められるよりも 慰めることを


理解されるよりも 理解することを


愛されるよりも 愛することを


求めさせてください。


私たちは 与えることによって 与えられ


許すことによって 許され


自分を捨てることによって 永遠の命に生きるのですから。



これは、アッシジの聖フランチェスコの平和の祈りの一部です。

マザーテレサが最も愛した祈りの言葉だそうです。



私が、この言葉に出会ったのは、江原啓之さんのテレビ番組「オーラの泉」を

見たときでした。夜中の番組で、普段は眠っている時間帯だったのですが、

オダギリジョーさんが出演されるということで、寝ないで観てました。


オダギリジョーさんって大好きです。見た目も素敵だけど、あの個性的な性格と、

自分の個性を貫く姿勢が好きです。(あのファションセンスは正直、私の趣味では

ないですが。)


オダギリジョーさんは、前世でフランチェスコのような方だったらしいです。

江原さんはフランチェスコを尊敬なさっているそうで、その時、この平和の祈りを

紹介なさっていました。



先ほど、ご紹介したのは、この平和の祈りの後半部分です。前半部分は、

なんだか、その当時の自分には、しっくりこなかったので、これまで

唱えていなかったのですが、最近、色々な出会いがあって、この前半部分も

いいなあと思うようになりました。


ここに、書き留めておきます。



主よ 私を 


あなたの平和のために お使いください。


憎しみのあるところに 愛を


苦しみのあるところに 癒しを


分裂のあるところに 一致を


疑いのあるところに 信頼を


絶望のあるところに 希望を


闇のあるところに 光を


そして 悲しみのあるところに 喜びを


もたらすことができますように。




今まで訳されていた「平和の祈り」は、キリスト教の自己犠牲的な愛を

感じて、あまり好きになれなかったので、自分に合わせて意訳してみました。


これならもっと多くの日本人の方にも、宗教など関係なく、受け入れて

もらえるんじゃないかあと思うのですが。もし、そうであれば、嬉しいです。