今日の全国の新規感染者数。2ヶ月ぶりに全国の新規感染者が5,000人を超えたそうだ。首都圏の1都3県、大阪の新規感染者が再び急激に増えている。
東京都では、今日の新規感染者数1,979人。年末年始に人々を震撼させた、2,400人台まで迫ってきてしまった。
その時と違うのは、2月から始まった医療従事者のワクチン接種を皮切りに、高齢者のワクチン接種が63.8%まで進み、高齢者で罹患したり重症化する人が減った反面、今は50代以下の若い人の罹患が急増している。
本日の東京の新規感染者の年代別内訳では、50代までの罹患者で、95%を占める。インドで発生した感染力が強いとされるデルタ株の影響もある。
橋本氏は21日に小山田氏の辞任を受けてコメントを発表していた。
「この大会は、多様性と調和という言葉をミッションに掲げてきた」と強調し、「組織委は、未来の社会のために、このミッションを単なる言葉で終わらせてはいけない、それはいま、この世界で大会を開催することの大きな意味であると考えている。失敗を重ねながら、困難を乗り越えながら、あきらめずに人間の尊厳を大切にする社会を目指すために、一日一日を過ごしている私たち自身の社会の縮図でなければならない」などと記していた。
この言葉を、橋本聖子氏が考えたのか、組織委が考えたのか、官僚が考えたのかわからない。けれども、誰が書いたかわからないこの文章には、重要な意味合いがこめられたと、私は思いたい。言葉だけが上滑りしてはならない。考え抜かれた素晴らしい文章だと、私は思う。
オリンピックは特別なのではない。まして、政治が関与しても、誰かの利益誘導であってもいけない。オリンピックは上から目線で開かれるものでもなく、1人1人の人権が保証された先に、平和の祭典であるべきである。
あとで検証も必要かもしれないが、その意味合いの元に、今回の辞任劇は続いたと思いたい。
人類の歴史の過ちを揶揄してもいけなければ、人をいじめてもならない。男女平等であり、皮膚の色や、体型や、その他あらゆるものの差別を、この世界は許さないのだと。
夕方、池上彰さんが、今回のオリンピックは1920年のアントワープオリンピックに似ている、と解説されていた。
上記の中に次のような記述がある。
アントワープは「平和の祭典」「成功したオリンピック」と今も称される。ただ、それはIOC側の視点。前回、1916年の第6回ベルリン大会が第1次大戦によって中止され、この大会も開催できなければオリンピック活動は足場を失い、霧散しかねない。是が非でも開催するとの強い意思はクーベルタンにあった。しかし、ベルギーは再建途上。財政に事欠き、人々の暮らしもままならない。1年あまりの期間では準備もままならなかった。未完成の競技会場が多く、スペイン風邪流行直後にも関わらず衛生面の配慮も足りず、選手たちの不評をかった。何より、資金難による宣伝不足は市民、国民の関心を呼ばず、空席ばかりが目立つ大会ではあった。
池上彰氏が提示した写真にも、ほぼ観客の映っていないものがあった。国民は疲弊していて、とてもオリンピックの切符を買うお金も、気持ちや雰囲気の余裕もなかったそうだ。
さて、明日24時間を切って、東京オリンピック2020が始まる。
「やめることは、いちばん簡単なこと、楽なことだ」としたうえで「挑戦するのが政府の役割だ」と強調しました。
上記記事には、
2回も上記の文が書かれている。
2年目となる新型コロナウィルスとの闘いは、日本は先進国の間では様々な要因が重なって、何とか抑えてきた。しかし今、最大の難所を迎えようとしている。数日前、イギリスの専門家が「日本はパンデミック前夜」と言ったのが何とも不気味だ。
オリンピックが開催されると判断された以上、選ばれた選手達が全力を尽くすのは、選手達のミッションであり、それまでのストーリーも含めて、開催判断とは別物のスポーツの祭典である。頑張る選手達は応援したい。
しかし、国のトップが決断した「挑戦するのが政府の役割」なのかどうかはわからない。挑戦して、突き進まれた末に、国が堕ちた歴史も私達は知っている。
進むことも、引くことも
どちらも重要な岐路であり
判断である。
東京オリンピック1964は、私が生まれる前の開催であった。それゆえ、その前後の空気が、実感として全くわからない。
東京オリンピック2020の前日。
2021.7.22の空気を
今を生きていた者として残しておきたいと
ここに記しておく。
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