時間をかけて書いていたので遅くなりましたが、祖母の通夜・告別式・その準備などをUpします。
まず祖母が亡くなって、親戚やお坊さんの確保(手配じゃなく本当に確保なんですよ。。。)斎場の手配。
祖母は7月30日19時48分に死亡確認。たぶん本当はその5分前には完全に亡くなっていたと思いますが、担当医がなかなか来なくて(他の患者さんを診ていたようです)、この時間でした。
享年96歳でした。
そして、親戚へ両親が電話をかけ・・・、お寺と葬儀社(掛け金も貯まっていたし)へ電話。祖母の身体を綺麗に看護士さんにしてもらい入れ歯も入れてもらいました。入れ歯をいれないと+10歳は確実に年取ります。入れ歯がなかったらウチの祖母の場合なら106歳の顔に近いと思いました。
斎場・・・、ウチは家から近いのと最寄り駅から近いのとで、8月2日3日しか空いてなかった。。。ココは去年、建て替えて綺麗になったので人気があるそうです。だって時間を計算すると2日間で一組しか出来ないです。
お坊さんは空いていたんだけど、斎場が空いてなかった・・・というオチでした。
実は8月3日は私の東京の病院へ行く日だったけどキャンセルしましたが、かなり前からイヤ~~~な予感がしまくってたんですよ。当たらなくていいのに当たってしまった。。。今回は車椅子を購入することになったので医師の診断書のような物が必要だったんです。しかも私の担当医はキャンセルすると何ヶ月も先(普段の定期診察ですら私は3~4ヶ月に一度)になってしまうので・・・。でも今回はなんとか約一ヶ月後という早いのが取れたけどね
よ、良かった~。
祖母を家へ連れて帰るため寝台車が来て、霊安室へ・・・。初めて入りました。。。
でいろいろ説明やらなんやらあって、父が祖母と寝台車に乗り、私と母は車で帰りました。
帰ってくると母方の親戚が来てくれてました。母方の親戚・・・とは言っても母の兄弟ですが、本当に有り難かったし心強かったです。ありがとう
皆が出迎えてくれて祖母も寂しくなかったと思います。
夕飯がまだだった(母方の親戚で、心配してくれてパンや飲み物を買ってきてくれました。)とか下の伯母と従姉妹が横須賀から駆けつけたとか・・・寝ずの番とかは書いたので省きますが、祖母は黄疸が出ていたのでとりあえず冷やしておく必要があったので、私たちは寒かった
まあ、翌日の葬儀社との話し合いでエンバーミングをしてもらうことになりました。父は祖母の身体に傷を付けることに抵抗があったみたいだけど、傷口は1cmだけ(腹水や少しだけ(全部は無理)血液を採って他の液体を入れるらしい)・・・ということと葬儀社の人が以前、エンバーミングを断ってそのままにしてください。というケースに出会ったときに、通夜の日だかには緑色に肌が変わっていた。という話もしていたので・・・。これのおおかげでエアコンの温度を多少、元に戻せることになりました。
とかいろいろ話を聞いていたし、近所の人が祖母の顔を見に来てくれたり・・・母方の親戚もまた来てくれたし、父方の親戚も来てたし、祖母の実家の方も来てたし・・・。私は午後から昼寝してたけどね。だって寝ずの番して午前中は葬儀社との打ち合わせに参加。。。参加というか記憶力があるからってだけだけど。
いろんな説明・・・、祭壇のこと(値段)・遺影・棺の色・お花・香典返し・食事(通夜・告別式)などなど。。。そのあいまあいまに近所の人、親戚が来たりしてました。あと電話もあったり・・・。
祖母に着せてもらう着物は私と下の伯母で決めました。棺は私が決めたし、告別式のあとの食事では、お刺身が夏場でダメということで、ウナギ(中国産)か豚肉の冷しゃぶかということで、母と私で豚肉の冷しゃぶに決めました。
あと、故人のことを話して専門の人が文書にする・・・とかいうのも言ってたけど、私でもできそうだし亡くなった人を悪く言いたくないので却下しました。
お寺の方は、両親が前もって(祖母も超高齢だった)お布施のことなど聞いていて、格式は高いお寺なのですがウチは新参の部類なのでわりと安かったようです。。。我が家は一応、曹洞宗でご住職は告別式のときに緋色の大衣でしたので・・・。ちなみに私は「八百の神さま」を信じています。
ご住職の大衣の色はおそらく長寿だった祖母に対するものと考えられます。
葬儀会場から火葬場まで、父は位牌・母は写真・私は霊柩車までの花束を持ってお坊さんのあとを歩きます。私の花束は霊柩車までなのですが、帰りは父は遺骨・母は位牌・私は写真でした。
火葬場へ行くとき、母と初めてハイヤーに乗りました。父は行くときは霊柩車に帰りは一緒にハイヤーでした。ハイヤーの乗り心地は最高でした。眠くなるほどでした・・・寝なかったけど。。。このときバックを親戚に預けてしまい、ちょっと退屈でした。
火葬場では、祖母とお別れしました。そのあと順番にお焼香し、祖母がお骨になるまで軽食を取り話をし・・・と言っても私は孫とは言っても内孫、同居していたので両親と一緒の立ち場なので、とりあえず上座なんです。あっ、ちなみに施主の座る椅子は特別でした。理由はわかりませんが・・・。そしてまわりは両親と祖母の実家を継いでる甥夫婦(祖母からみて)とか祖母の妹やらなんで、私は携帯をいじっていました。だって話を聞いててもわからないんだもん
祖母がお骨になるのには思ったより時間がかかりませんでした。そして骨拾いを母として(本当は母は父となんだけど)、順番に拾っていって最後に「喉仏と頭蓋骨」の説明をうけました。
で、葬儀場へもどって精進料理。。。このときも上座に座りました。もちろん回りは火葬場とほぼ同じ。
食事が終わると祖母へ親戚がお焼香を一人一人あげて出ていくので、私も挨拶をし・・・。最後に祖母の遺骨・位牌・写真を持って家に帰りました。でも、これで終わりません。父方の親戚、祖母の実家の甥夫婦がお線香をあげに我が家へ寄り、途中で携帯をいじっていたらAlexからFacebookにメッセージが届いていることがわかって読むだけ席を外して・・・。親戚が帰って行ったのは夕方の6時頃でした。そしてウチのワンコがペットホテルから帰ってきました。
私はなぜか体温が恋しくなり、ワンコにくっついていました。。。
まず祖母が亡くなって、親戚やお坊さんの確保(手配じゃなく本当に確保なんですよ。。。)斎場の手配。
祖母は7月30日19時48分に死亡確認。たぶん本当はその5分前には完全に亡くなっていたと思いますが、担当医がなかなか来なくて(他の患者さんを診ていたようです)、この時間でした。
享年96歳でした。
そして、親戚へ両親が電話をかけ・・・、お寺と葬儀社(掛け金も貯まっていたし)へ電話。祖母の身体を綺麗に看護士さんにしてもらい入れ歯も入れてもらいました。入れ歯をいれないと+10歳は確実に年取ります。入れ歯がなかったらウチの祖母の場合なら106歳の顔に近いと思いました。
斎場・・・、ウチは家から近いのと最寄り駅から近いのとで、8月2日3日しか空いてなかった。。。ココは去年、建て替えて綺麗になったので人気があるそうです。だって時間を計算すると2日間で一組しか出来ないです。
お坊さんは空いていたんだけど、斎場が空いてなかった・・・というオチでした。
実は8月3日は私の東京の病院へ行く日だったけどキャンセルしましたが、かなり前からイヤ~~~な予感がしまくってたんですよ。当たらなくていいのに当たってしまった。。。今回は車椅子を購入することになったので医師の診断書のような物が必要だったんです。しかも私の担当医はキャンセルすると何ヶ月も先(普段の定期診察ですら私は3~4ヶ月に一度)になってしまうので・・・。でも今回はなんとか約一ヶ月後という早いのが取れたけどね
よ、良かった~。祖母を家へ連れて帰るため寝台車が来て、霊安室へ・・・。初めて入りました。。。
でいろいろ説明やらなんやらあって、父が祖母と寝台車に乗り、私と母は車で帰りました。
帰ってくると母方の親戚が来てくれてました。母方の親戚・・・とは言っても母の兄弟ですが、本当に有り難かったし心強かったです。ありがとう
皆が出迎えてくれて祖母も寂しくなかったと思います。夕飯がまだだった(母方の親戚で、心配してくれてパンや飲み物を買ってきてくれました。)とか下の伯母と従姉妹が横須賀から駆けつけたとか・・・寝ずの番とかは書いたので省きますが、祖母は黄疸が出ていたのでとりあえず冷やしておく必要があったので、私たちは寒かった

まあ、翌日の葬儀社との話し合いでエンバーミングをしてもらうことになりました。父は祖母の身体に傷を付けることに抵抗があったみたいだけど、傷口は1cmだけ(腹水や少しだけ(全部は無理)血液を採って他の液体を入れるらしい)・・・ということと葬儀社の人が以前、エンバーミングを断ってそのままにしてください。というケースに出会ったときに、通夜の日だかには緑色に肌が変わっていた。という話もしていたので・・・。これのおおかげでエアコンの温度を多少、元に戻せることになりました。
とかいろいろ話を聞いていたし、近所の人が祖母の顔を見に来てくれたり・・・母方の親戚もまた来てくれたし、父方の親戚も来てたし、祖母の実家の方も来てたし・・・。私は午後から昼寝してたけどね。だって寝ずの番して午前中は葬儀社との打ち合わせに参加。。。参加というか記憶力があるからってだけだけど。
いろんな説明・・・、祭壇のこと(値段)・遺影・棺の色・お花・香典返し・食事(通夜・告別式)などなど。。。そのあいまあいまに近所の人、親戚が来たりしてました。あと電話もあったり・・・。
祖母に着せてもらう着物は私と下の伯母で決めました。棺は私が決めたし、告別式のあとの食事では、お刺身が夏場でダメということで、ウナギ(中国産)か豚肉の冷しゃぶかということで、母と私で豚肉の冷しゃぶに決めました。
あと、故人のことを話して専門の人が文書にする・・・とかいうのも言ってたけど、私でもできそうだし亡くなった人を悪く言いたくないので却下しました。
お寺の方は、両親が前もって(祖母も超高齢だった)お布施のことなど聞いていて、格式は高いお寺なのですがウチは新参の部類なのでわりと安かったようです。。。我が家は一応、曹洞宗でご住職は告別式のときに緋色の大衣でしたので・・・。ちなみに私は「八百の神さま」を信じています。
ご住職の大衣の色はおそらく長寿だった祖母に対するものと考えられます。
葬儀会場から火葬場まで、父は位牌・母は写真・私は霊柩車までの花束を持ってお坊さんのあとを歩きます。私の花束は霊柩車までなのですが、帰りは父は遺骨・母は位牌・私は写真でした。
火葬場へ行くとき、母と初めてハイヤーに乗りました。父は行くときは霊柩車に帰りは一緒にハイヤーでした。ハイヤーの乗り心地は最高でした。眠くなるほどでした・・・寝なかったけど。。。このときバックを親戚に預けてしまい、ちょっと退屈でした。
火葬場では、祖母とお別れしました。そのあと順番にお焼香し、祖母がお骨になるまで軽食を取り話をし・・・と言っても私は孫とは言っても内孫、同居していたので両親と一緒の立ち場なので、とりあえず上座なんです。あっ、ちなみに施主の座る椅子は特別でした。理由はわかりませんが・・・。そしてまわりは両親と祖母の実家を継いでる甥夫婦(祖母からみて)とか祖母の妹やらなんで、私は携帯をいじっていました。だって話を聞いててもわからないんだもん

祖母がお骨になるのには思ったより時間がかかりませんでした。そして骨拾いを母として(本当は母は父となんだけど)、順番に拾っていって最後に「喉仏と頭蓋骨」の説明をうけました。
で、葬儀場へもどって精進料理。。。このときも上座に座りました。もちろん回りは火葬場とほぼ同じ。
食事が終わると祖母へ親戚がお焼香を一人一人あげて出ていくので、私も挨拶をし・・・。最後に祖母の遺骨・位牌・写真を持って家に帰りました。でも、これで終わりません。父方の親戚、祖母の実家の甥夫婦がお線香をあげに我が家へ寄り、途中で携帯をいじっていたらAlexからFacebookにメッセージが届いていることがわかって読むだけ席を外して・・・。親戚が帰って行ったのは夕方の6時頃でした。そしてウチのワンコがペットホテルから帰ってきました。
私はなぜか体温が恋しくなり、ワンコにくっついていました。。。