安曇族がいた地域は技術がもたらされて
豊かになったという記憶がある
紫姫さんが
安曇 穂高 が気になると。。
それにワタシも反応した。
そして紫姫さんは
目に入れ墨を施した存在を気にしていた。。
ワタシは、久米、、大久米命を思い出す
海を渡り各地に高度な技術を持つ集団久米
その目は 久米と名乗った人達の目
もちろん沖縄にも久米 くにんだ
ワタシの大好きなエリアだ
福州園のあるところ
高度な技術者集団の街
久米氏は安曇族と一部同じような
働きをしていると感じている
高度な天文知識を持ち
星を読み、海を読み、
造船技術、航海技術、漁業、鉱山、農耕
と様々な知識をもたらす
その中には自然と共に生きる叡智が
もたらされたはずだ
古代より自然の恵みを多く受け
幾度の災害を乗り越えて
繋がっている遺伝子 繋いで生き残った私達
『あ』の地名のつくエリア
安曇族が災害を乗り越える叡智を
特に、その土地に残しているのでは
この夏、日本各地で、太平洋側も日本海側も水の災害が発生している
ワタシ達は怖がるだけでなく
その土地に残された先祖の叡智、記憶を
思い出し、読みとく技術も
必要なのではないだろうか
そして、不思議なことに
この安曇族に関する書籍が
安曇族の拠点、福岡 志賀海神社にはなく
遠い長野の安曇野.穂高神社で
細く長く引き継いでいることだ
昨年、ご縁があって
志賀海神社の活動を応援している人々へ
このブクレットを繋ぐ機会を得た
福岡の方が、志賀海の方が知らなかった、途切れていた安曇族の記録が、長野 安曇野、そして
『あ』のつく地、『しか』の地
ア地と志賀地に今も引地がれていることを感じている。
祖先の愛そのもの、叡智を。
日本列島での安曇族の活動
『アヅミ地』
海から離れた内陸部の山麓
湧水が豊かで土地が軟らかな山間に伸びた沢田や谷田につながる共通点がある
令和5年9月
『シカ地』
面積の広がるエリア状で、ニホンジカの生息可能域。。シ=シシ=4本足のケモノ
安曇族は、日本列島においては、、というのが
興味深く、世界中でも共通の痕跡をのこしているはずだ。。
秘密の多い大好物😍フェニキアに関連するとか
ワタシは、このブクレットのあとがきに
とても共感している
以下 あとがき ↓
::::::::
あとがき
日本列島は、長かった縄文時代が、
海人の安曇族たちの活躍で、中国大陸や朝鮮半島から人々が渡来して、米づくり、物づくりが始まって弥生時代になった。
その延長で現代に至るが、今の日本では、
人材の海外流出、米づくりの減少、
物づくり拠点の海外移転が見られる。
今後どうなるのかは予測もつかないが、
この米づくりや物づくりが益々
小さくなる現象は、極端に言えば
縄文時代への回帰だ。
とは言え、技術や文化は二五〇〇年前と大きく
違うわけだから、
さしずめ新縄文時代への回帰とでも呼ぶべきか。
日本列島の人口は極端に減り、
食べていける住民は、自給自足の農漁民と
海外企業への投資家、
それに海外製品の輸入業者ぐらいになるのかもしれない。
現実には、そんなことにならないように、
知な頭の良さではなく
真に頭のいい人が
何らかの手を打ってくれるのだろうが、
今の日本では、
福が外へ出て行きやすい条件を揃えて、
福を外へ追い出しているようにも思える。
「福は内、鬼は外」と掛け声だけの
豆蒔きではなく、
日本列島における福とは何か、鬼とは何か、
目先だけにとらわれないで、
時間的には遠い古代から現代まで、
空間的には地球全体を眺めて見定めねばならない時に至っているはずだ。
昨日が節分だったこともあって、
本素稿を書き終えたとき、安曇族カンバックの言葉が頭を過ぎった。
二〇一三年二月四日
龜山勝
::::::::::: 以上 あとがき 抜粋
ワタシのとって素晴らしい
ブクレットとの出会いであった
志賀海神社では全く伝承されていない
遠く穂高の地 安曇野で出会った記録だった
シリウスからの叡智を引き継いだ
受信したモノがいたのではと妄想をしている
石籠星 イソラ星
シリウスの和名である














