お久しぶりです。
朝夕、涼しくなってきて、
日中も過ごしやすいですね。
テラスでのカフェが
気持ちいい季節です。
久しぶりの記事。
これは私のために。
そして、もし。
何か感じ取る方がいたらその方々にもシェアしたいと思い、
久しぶりにブログに向かいました。
ことの始まりから。
長い長い記事になりますが、
ぜひ、読んでみてください。
理恵ちゃんワールド炸裂です^^
たまたま先日、
お友達と、
お茶に行く途中で、
あまり行き来していなかった
私の親戚の訃報が入りました。
叔父さんは、病院で入院中。
亡くなったのは、
自宅療養をしていた、
叔父さんの妻である、
叔母さんでした。
お茶の後、
一緒にお酒を飲み、
団欒して帰ろうとした頃に、
異変をキャッチしました。
「誰か来ている」
私「あぁ、叔母さんだね」
「いや、、、もう一人いる。入院してるのは?」
私「叔父さんだ」
奇しくも、
肉体のない人の声が聞こえる美咲さんと
一緒に飲んでいた時に、
御霊となった叔母さんと、
肉体から離れてきた叔父さんが、
私たちに、話を聞いてもらいに来ました。
人づてに聞いていた、
叔母さんと叔父さんの、
長い人生のストーリーを振り返り。
山あり、谷あり、谷あり、谷あり、、、
落ちるしかないような(笑
決して、豊かで幸せな人生ではなかったようです。
話の内容、、、
御霊の叔母さんからは
「私に恨みの気持ちを持っていた身内を、助けてやって欲しい」
「夫(叔父さん)も連れて逝きたいけれど、どうしよう。」
入院中の叔父さんからは
「自分も逝きたいけれど、どうしよう。」
「自分が生きていたら、身内に迷惑にならないかな。」
私の答えは、
「私を巻き込むな!
私には関係ない。
死にたきゃ、死んだらいいんだよv(。・ω・。)♪
でも、
あなた方の身内は、少なからず私にご縁があったので、
仲良くしていきたいと思う。
メンタルの部分で気づきが必要な時は手伝うから大丈夫^^」
なんとも冷たく薄情な私です。
でも、
人の寿命はあっても、
自分で「生きる死ぬ」の選択の自由を持っていたい。
「生死の権利」だとも思っています。
で、もちろん、
第三者が、
それを止めたいと思う権利もあります。
「権利」だから
「死なせてはいけない」
という絶対的普遍な理(法律)ではないと、私は思っています。
「叔父さんはまだ死相が出てないね。
まだ寿命じゃないんだよ。」
私「てことは、、、
まだお役目があるんだね。
叔父さんが、その身内に対してすることは、
自分が亡くなることで負担を軽くしてあげることじゃなくて、
その身内に、今まで出来てなかったことを、
素直な気持ちでしてあげることじゃないかな?」
「あなた方が否定してばかりだった
その身内の存在、能力、生き方、、、。
本当は、とても感謝していたはずなのだから。
素直な気持ちで、
受け入れて、認めて、赦して、
それを伝えながら、
一緒に穏やかに楽しく生きていく
命の続きがあるんだよ。」
「明暗を分けたのは何? て聞いてる。」
私「明暗?」
「私たち(叔父叔母)の人生と、理恵ちゃんの人生。
明暗を分けたのは何?て。」
それを聞いて、
私は応えました。
生きるってね、
しんどくて、苦しくて、我慢しなければ、
いけないもの。
じゃ、 ないんだよ。
犠牲者ほど、
周りに迷惑をかけるものはないんだから。
犠牲者の立場を手放して。
自分から先に、
楽しくて、楽で、幸せに、
生きていっていい。
そのために、
一見、ダメだと思うことも、
自分の素直な気持ちに従って、
楽しく幸せでいたい自分を許してあげて欲しい。
楽に、幸せになってもいい。
その選択をするだけ。
勇気はいるかもしれないけれど、
今ある愛や幸せに、目をつぶらないで。
受け入れ、ひらいてればいいんだ。
色々あったけれど、
叔母さんだって、
夫婦としてとても愛されていたんだよ。
病床で、
見つめていた叔父さんの瞳が分かったでしょう?
叔母さんは、とても愛されていたんだよ。
成仏したら、
叔父さんや身内のこれからの幸せを、
サポートして導いてあげられるよ。
そう、
犠牲者の立場を手放したら、
感じる気持ちが幅広くなってくる。
本当はしたくないこと、したいことに、
制限をかけないで、
心をひらいていく。
自分から、
楽に幸せになっていい。
心から、そう思うだけで、
行動も自然と変わり、
現実もシンクロニシティが起こってくるから。
叔父さんも、叔母さんも、
うつ向いて話を聞いてくれていました。
そうして、
叔父さんは肉体に戻り、、、
叔母さんは、
光に包まれて成仏しました。
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先月末に買ってきたお花
自分で工作をする時間も、
滞っていたものを、ゆったりと流していく。
(ネバーまとめより)
https://matome.naver.jp/odai/2142111688529750401
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最近、会って話した母が、
つらかった頃を振り返り、
「余裕がなかった、、、
あんな辛いのは二度とゴメンだけれど。
もしも万が一、あの頃に戻るとしたら、
心に余裕を持ちたい」
と、つぶやきました。
母も、精一杯だったのでしょう。
あれだけ夫婦喧嘩をしていたけれど。
自分に心の余裕があれば、
父の苦しみを理解してあげられ、
もっと仲良くいられたのでは・・・
という形の愛情を、言葉から感じました。
私は思います。
「心の余裕」とは、
自分を押し殺す犠牲の上で得られるものでなく、
自分の醜い心の部分も、美しい心の部分も、
全て認める勇気と行動から、
生まれてくるものではないでしょうか。
その先に、
認めるのも嫌なほど、
欲しくて恋い焦がれていた。
心の底から、
安らかで楽しく、
お互いに大切だからこそ、
本音を伝えあい、
それぞれを認め合う。
誰も犠牲にする必要ない。
誰も犠牲になる必要もない。
豊かで愛情あふれた、
自由な家族の、
何気ない日常が、
存在していくのではないかと思っています。
(今日の夕焼け空)
※人生の明暗、という表現をしていますが、、、
人の生きてきた道に、明暗なんてものはありません。
人生は、その人だけの取り替えようのないかけがえのない生命。
全てがOKなのです![]()



