わたしは全国でもゴミの分別回収がものすごく厳しい名古屋市に住んでいる。
可燃物・不燃物・プラスチック・ペットボトル・紙製品・缶・ビン・紙パック・ダンボール・その他・・・
回収日も回収場所もバラバラだし分別のためのゴミ箱は邪魔だし、めんどくさいことかぎりなし。
だけどルールはルールなので守っている。マンションの住民で守ってないヤツがいて収集所が汚れているのに眉をひそめつつも、文句も言わない。
この本にも書いてあるけど、缶やビンの分別はともかくプラスチックやペットボトルを分別するのは意味がない。
そのことは環境問題はなぜウソがまかり通るのか を読む前から知っていた。
なんでかっていうと、以前、実家の大掃除のときにでた大量のゴミをゴミ処理場まで持っていったことがあるからだ。(ちなみに実家は名古屋ではない。名古屋近郊だけど)
そこではなんでもかんでもいっしょに燃やされていた。
可燃物も不燃物もプラスチックも・・・分別されて違う色のビニール袋に入れられたゴミが、同じところでおなじように処理されていた。燃えるものは燃やす、ていうのがゴミ処理の現実だ。
当時も名古屋市ほど厳密ではないにしろまじめに分別していたわたしは徒労感を感じた。もちろん我が家族も生真面目に分別することの無意味さに呆然としていた。
が、実家の父母はあいかわらず分別している。
もちろんわたしも分別している。
無意味なのは百も承知でやるのは、それがルールだから。うんざりするけど仕方ない。
同じようなのにダイオキシンがある。
モノを燃やすとダイオキシンていう猛毒が発生するから焚き火しちゃいけない。庭でゴミを燃やしちゃいけない、ていうはなし。
わたしが子どものころは庭でゴミを焼いていたし、落ち葉や枯れ枝で焚き火(そのあとは焼き芋!)していた。
燃やすと臭い匂いがするゴミ(ビニールとか化学的っぽいの)だけゴミの回収にだして、あとはぜんぶ庭で燃やしていた。生ゴミは庭に埋めていた。
ゆらめく炎を見つめるのは楽しかったし、頬にうける火の熱気がヒリヒリするのも好きだった。
夏はその火でついでに花火もしたし、秋は焼き芋をつくった。
なのにある日、ダイオキシンが出るから焚き火は禁止、になってしまった。
禁止というルールができたなら仕方がない。ルールはルール。
イヤだけど、残念だけど、庭でモノを燃やすことは諦めるしかない。
だけどずっとおかしいと思っていた。
特別な燃焼装置のついた高級なゴミ処理場でなければダイオキシンが発生してしまうなんて。
燃やしたら発生するダイオキシンは猛毒で、ほんのちょっと吸い込んだだけで死んでしまうほどだなんて。
子どもだったわたしだって10年以上、焚き火の煙を吸ってきた。
両親はもっと長い間だし、祖父母、曾祖父母なんてもっとずっとモノを燃やしてその煙を吸っていたはず。
わたしの曽祖父は90歳まで生きていたが、いつも火鉢のそばに座っていた。
モノを燃やしたら発生するダイオキシンが猛毒なら、曽祖父はどうして90までピンピンしていたのか?
きっと「へんだな?」「おかしいな?」て思った人は多かったと思う。
だけどシロウトだからうまく言葉に出来ない。
うまく言えないまま、なしくずしに不便に慣らされていく。
新聞やテレビで識者とよばれるひとが大真面目に
「環境が・・・」「自然破壊が・・・」とこれが正義だ!て顔で言っている。
毎日、いまも。
善良な市民であるわたしたちは「環境のため」「未来のため」「ルールだから」なら真面目に守る。
大地や空気を汚したくないし、限りある資源を守りたい。
健康に暮らしたいし、他人の迷惑になることもしたくない。
そんな人々の善意の上にあぐらをかいてウソをつく。
嘘つきは泥棒のはじまりだ。
環境問題のウソつきは「環境」「未来」「税金」「生活」「時間」など、わたしたちからありとあらゆるものを奪っている。盗んでいる。
環境問題はなぜウソがまかり通るのか にはそのカラクリがのっている。
錦の御旗と化した「地球にやさしい」環境活動が、往々にして科学的な議論を斥け、人々を欺き、むしろ環境を悪化させている。官製リサイクル運動が隠してきた非効率性と利益誘導の実態とは?地球温暖化を防げない京都議定書―。アル・ゴア氏にとっての「不都合な真実」も次々に明らかになる。
資源7倍、ごみ7倍になるリサイクル、猛毒に仕立て上げられたダイオキシン、地球温暖化を防げない京都議定書。環境問題は人をだましやすい! 「故意の誤報」を明らかにする、安易なリサイクル推進運動に警鐘を鳴らす書。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/90276/
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/environment/90371/





