羊は弱きものの象徴であるかのように描かれる。
羊は群れをなし、戦う武器や戦闘能力もなく、護り手を必要とする。
イエスキリストは「わたしは彼らの牧者である」と言った。また
「わたしは、良き羊飼いである」とも言った。
羊とは人間のことだ。
人間は群れをなし、弱く、何者かに依存しなければ、生きてゆけない。
狼の群れは、夜半に奇襲をかけて来るのだ。
「牡羊座」をひも解けば「開拓精神」と出てくる。
守護星の火星は、古くは「兵士」の意味があり、現在は「闘う意欲」と出てくる。
つまり、これは「独り立つ」の精神を現わしている。
おかしい・・弱きものではなかったか? 保護者が必要では?
盲目のように寄り合い、肩を抱き合って、恐怖の一夜を過ごすだけの存在ではないのか?
牡羊座は、たった一人で斧を携え、未開の荒野に乗り込み、開墾する魂だ。
そこには可能性と、無限の希望があるのだ、だから、人に渡したくない。
見つけた宝は独占する。
12星座は、人間の社会生活のサイクルになっている。
曙の春、牡羊座から始まり、冬の終わりうお座で終わる。
人間の新天地「春の光」を夢みて旅立ち、それがすべて「幻想」であった冬で終わる。
終わるだけではなく、また、それを繰り返す、果てしなく繰り返す。
それが12星座のサイクルの意味だ。
なぜおひつじ座が、人間のサイクルのトップなのか?
なぜ、仲間意識のない、独善の孤高が一番最初に来るのか?
なぜ友愛や福祉ではないのか? なぜチームワークではないのか?
人間は「誰にも頼らない」ところから本当の意味での成長が始まるからだ。
わたしたちの遺伝子は、未開へ行け、と誘いの信号を発する。
私は子どもの頃、東の果てに向かって走ってゆく黒い夜汽車の
星空にこだまする汽笛を何度も聞いた。
その貨物列車は、今でも私の記憶の中を走っている。
ただ、黒い塊になって、春になると、凍てついた北斗七星を震わせ、汽笛を鳴らす。
それは恐ろしい怪物のように、わたしを「そこを出ろ」と誘う。