ウーマンエキサイトの心屋仁之助のコラム。

タイトルが頼りない彼との別れは「見捨てることではない」

だったので、
今回は関係ないかな~とスルーしようとしたけれど、
読んでみました。

・・・読んでよかった、
やはり、場面は違っても根底は同じなのですね。

コラムにあるとおり、
私の場合、「姑をみていて私が感じること」は、
「私の価値観」というフィルターを通って
いるんですよね。

姑に対して思うことはいっぱいあります。

学びの対象である、反面教師、鏡の法則、
過去生で迷惑をかけた?!、
私に何かを教えるため、
嫌な役を引き受けてくれている・・・

などなど、いろーーーんなことを考えたし、
プラスに、前向きに捉えようと
頑張ったんですね。

でも、状況はよくならなかった。

精神的にも、身体的にも、追い詰められてしまった。

きっと、頑張り方が間違っていたんですね。

私は、
「自分の生き方をはっきり見つけた」んだ。
「自分自身を幸せにしてあげることに専念して」いいんだ。
「自分の気持ちに素直に」なるんだ。
「自分を我慢しなくていい」んだ。
「自分の幸せを、一番に考えていい」んだ。

ああ、心にきた言葉をピックアップしてみてびっくり。

全部「自分」が主体なんだ。

私がなにかを誠実に伝えたとしても、
私のせいでまた姑が(若いときのように)
うつになっちゃったらどうしよう。
私のせいでまた姑が(若いときのように)
自殺未遂したらどうしよう。
姑がいるから~するのをやめておこう。
姑がいるから、すきなように生活できない。
私がなにかをいえば、姑側の親戚たちが
私を責めてくる。

・・・書ききれないくらい、
自分を殺してきたんだな・・・
我慢してきたんだな・・・

会社で100%素の自分でいられるわけじゃないし、
自宅でも心からリラックスできなくて、
休日も家にいたくなくて、
ほんとは家でゴロゴロしたい日も、
あてもなくでかけたり。

自分がおかしくなって、当然だな・・・

でも、それは自分で選択してたんだな・・・

(あ、旦那はなにしてたんだ、と思われるかも
しれませんが、書ききれませんが、
主人は私のことを大切に想ってくれていて、
私も主人のことは大好きで、離婚という
選択肢は考えられないのです)



でも、いまの私は、もうあの頃の、
一番苦しかったころの、私ではないのです。

自分で、もういやだ、自分が変わりたい!
って思ったから・・・

まだ姑の気配を感じて、無ではいられませんが、
私はじわじわ、進化中です。