「好きな言葉は何ですか?」と聞かれると、以前は「精神一到何事か成らざらん」と答えていました。
子供の頃からの座右の銘です。
4年前に信和義塾大學校が世界で初めてロサンゼルスに開校し、第一期生として入門した私の今の「好きな言葉」は「和魂洋才」です。
「和魂洋才」とは岩波国語辞典によると、日本古来の精神を大切にしつつ、西洋からの優れた学問・知識・技術などを摂取・活用し、両者を調和・発展させていくという意味の言葉とされています。
私のブログ『アラモの砦へ寄贈された日本文の石碑』にて紹介させて頂いた岡崎藩出身の志賀重昂(しげたか)氏は「和魂洋才」の実践者でした。
志賀氏は当時の政府が急ぐ鹿鳴館的西欧化を批判して、機関誌に「宗教・徳教・美術・政治・生産の制度は「国粋保存」で守らねばならぬが、日本の旧態を守り続けろとは言わない。ただし西欧文明は、咀嚼し消化してから取り入れるべきだ」と記しています。
志賀氏は63才で亡くなるまで早稲田大学にて地理の教授を務められましたが、二十歳の頃に私の出身校である信州大学教育学部附属長野中学校前身の長野県師範学校で講師として地理科を教えていたそうです。
ところが、酒席で初代長野県知事の木梨精一郎氏(長州藩出身)を殴って(何のトラブルだったのかいつか調べてみたいと思っています)辞職し上京され丸善に就職しました。
1884年にイギリスが朝鮮半島南部の巨文(コムン)島を占領すると、志賀氏は海軍兵学校の練習艦「筑波」に便乗して同島へ状況を探りに出向いたり、南太平洋諸島を巡って列強の植民地化競争の状況を報じて警世した後に、東京専門学校(早稲田大学)講師となり、農商務省山林局長や衆議院議員を務めて1910年に軍艦「生駒」に便乗して世界を巡ったそうです。
そして1914年にハワイ諸島・カナダ・ワシントンDC・キューバ・メキシコを巡り、サンアントニオを訪問した際に長篠とアラモの二人の兵士の心意気に感激して、漢詩を作り石碑をアラモの砦に建てました。


