前の日記でも書いた。

この2年その日に書いた日記。

そこで起こったこと、沖縄の方たちの思いの何百万分の一も分かりえることはできないけれど、
行って話しを聞いて、自分なりに感じたこと、すこしでも思いを馳せ、伝えられたら・・・との思いで。


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6年前、子どもたちを連れ沖縄を旅した。
子どもらにとっては、初めての沖縄。自然を楽しむだけじゃなく、戦争の跡を一緒に訪ねたかったから。

いろんな話をしながら、一つ、一つ、ていねいに戦跡を訪れた。
夏海が4年生。航太2年生。どこまで、何をわかり、感じ取ったかは分からない。
でも、ひめゆりの碑に行った時、確かに夏海の表情は変わってた。

記念館の中の数百を越える、ひめゆり学徒隊の少女らの写真。
自分と5歳も変わらない少女たちの、ひとり、ひとりの死に直面して、
こどもながら、生まれて初めて、戦争を。。。戦争の惨さを感じたんだと思う。

彼女とは対照的に、あちこち遊びまわり、館の前にある『ガマ』跡の深い穴をのぞきながら、小石を投げ込んだ航太。

それを見て、たしなめた私に、最初は悪たれをついていたのだが、
写真を見ているうちに、だんまり状態になったのだ。
「怒られてふて腐れてるんだろう」そんなふうに思ってた。

その夜。。。ホテルで、夜中何度も、航太のうなされる声で目が覚めた。

翌朝、その事を本人に話すと、
夢を見たと。。。何人もの少女たちの顔がずっとずっと自分を見てて怖かったと。

そして泣きべそをかきだした「僕が石を投げちゃったからだ・・・」

その姿がなんか可笑しくて、夏海も私も笑ってしまったのを覚えてる。
ちっちゃいなりに何か感じたんだなぁ~って。



そんな昔の事を思い出した62年目の今日は。。。
六ヶ所村での夜。「アースディ六ヶ所」で、アンプラグドで過ごす一日。
星野村から『ヒロシマ平和の火』も到着したと聞いた。

テントのまわり、火を囲み。
すべての戦争で亡くなっていった命に。。。
みんなで鎮魂の火を灯し、祈りたいと思ってる。



しつこいですが(笑)!去年も書いた、沖縄のガマの話。
また載せます。一人でも、まだ知らない人に知ってもらえたらいいなぁーの思いを込めて。


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今日は『沖縄慰霊の日』。
ここ何年か、毎年この日になにかしら書いてきた。
一昨年書いたのをひっぱりだし、ここに書いてみようと思う。

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今日は59回目の沖縄慰霊の日です。
毎年、この『日』に沖縄から中継するNS23。

今年は「沖縄と憲法」の特集でした。

お守りとして、ボロボロになるまでポケットに入れて
「憲法手帖」を持ち続けている沖縄戦を体験したお年寄り。

基地を無くすためには、「日本がアメリカの傘のしたから抜けなければいけない。そのためには、改憲をして軍を持つべき。」
と話す嘉手納基地のすぐそばに住む若者。


『守る』と『変える』が、沖縄の中でも現実としてあって、
今の日本の現実でもあると思いました。

筑紫さんが、チビチリガマとシムクガマの前で、
この二つのガマで起こったことの大きな違いは・・・

「これだ!」と一方に大きく流されていくことの、
その「これ」の違いだったと。
わっと流れていくことの怖さ。
今の「改憲の流れ」でもそうなる怖さがある。と話していました。

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去年、沖縄を訪れたときに2つのガマ(壕)を訪れました。
読谷の通称「象のオリ」のちかくにある、”チビチリガマ”と”シムクガマ”です。




”チビチリガマ”は米軍上陸から3日目、多くの住民が避難してましたが、最初たけやりで抵抗するも、
反撃にあいパニック状態になった人々はどうしたか・・・

狭いガマのなかで、親が子を、肉親同士が、
カマやカミソリなどを使って殺し合ったのです。
それでも、死に切れず苦しんだ人々は、
最後にはふとんに火を付け、焼け死んでいったそうです。

ここの「集団死」では、140名中83名もの人が亡くなっています。
その6割以上が子ども。
追いつめられどうすることもできず、
真っ先に手をかけたのが、我が子。
その極限の状況を測り知ることはわたしにはできません。
でも、そうするしかなかった・・・皇民化教育。




もう一つの”シムクガマ”はとても大きく、
千人ものひとが避難していました。
同じ頃ここでは、まったく違うことがおこっていたのです。

米軍の投降のよびかけに、やはり「集団死」を選ぼうと言う声があがったとき、
そのなかに、二人のハワイ移民帰国者がいたのです。
かれらは必死で皆を説得したそうです。
「捕虜になれば殺されない、大丈夫だから・・」と。
ここでは、たったひとりの犠牲者もでていません。

この 二つのガマで起こったことのちがいに愕然としました。


チビチリガマの前で、その暗い穴の中をじーとみながら、
想像しても、しても・・・
そのすさまじい恐怖の何万分の1も分からないけれど、
じぶんの子を殺さなければならなかった親のきもち。
そして、子はどんな思いで親に殺されていったのか・・・。


以前は中を公開していたのだそうですが、
NHKの「琉球の風」という大河ドラマで観光客が大勢きて、
中を踏み荒らしてしまったのをきっかけに入れなくなったそうです。

入り口に遺族の人達が書いた、ちいさな板がありました。





「私たち遺族の気持ちを考えて下さい。ここはわたしたちの死んでいった家族の墓でもあるのです」と・・・・





親族すべてが亡くなっている人も多く、
正確な名すらわからない・・・呼び名で刻まれている人も。



平和の礎

子どもらに二度と同じ思いをさせたくはない。