今夏も羽生選手による被災地での小さなアイスショーが行われました。
今回は松任谷由美さん、清塚信也さんとコラボした「春よ、来い」
羽生選手、とっても美しかったです
悲しいくらい。
「ノッテ・ステラータ」や「春よ、来い」があんなにも美しいのは彼が体験した悲しみ、苦しみ、辛さを心の奥底に秘めて演じているから。
こういう演技を見ると思い出すのが
「悲しいことを楽しみなさい」
という私の歌の恩師ヴァムザー先生の言葉です。
悲しい歌を歌う時、辛いシーンを演じる時
その感情に流されたり溺れたりせず、外側から客観的に演じる自分を観察しなさいという意味。決して辛い状況、状態の方を茶化したりするものではありません。ご了承下さい。
お写真お借りしました。
もし、自分がとても悲しくて辛い状況にあって、そういう歌を歌わなければいけない時失恋とかね
激しい感情を出してしまうと、悲しみがこみ上げ、ぼろぼろになって歌えなくなってしまいます。だからなるべく淡々とあまり感傷的にならないように歌います。自分の生の感情だからこそ、溺れないように客観視しなくてはいけないのです。
それでも、心の深いところにはその悲しみを抱いているので、殊更に悲しみを表現しなくても聞き手には伝わります。
もし、自分の人生では経験できないような境遇や、経験したことがない状況を想像で演じたり歌う時
例えば、母親と死に別れて遠い親戚に預けられ、いじめられて育ち、好きな人には恋人がいて思いが届かないけど、彼のために死んでいくとか・・・例えです。
よくやってしまうのが、つい悲しみや怒りの表現がオーバーになり、張り裂けんばかりの絶叫と、大袈裟な身ぶり手ぶりで歌い演じてしまうこと。そして気が付くと自分だけがその世界に入り込んでいて、お客様は置いてきぼり😅
悲しみや怒りを表現するするのは声を荒げたり、オーバーアクションすることだけではないはずなのに・・・。でもこれけっこう多くて、残念ながらとても嘘っぽく見えます。
いや、そとそも演技なので嘘だし、時にはそういう表現を求められたり、とても演技巧者な方だとそうは見えないこともあるので、全員がとは言えませんが。
そこで、そんなめったにない状況にいる(演じている)自分を客観的に冷静に、どう表現しているか外からながめる。これが「悲しいことを楽しむ」なのです。パフォーマンスに「全力」を尽くしますが感情に流されることが「全力」ではないのです。
「悲しみ」の表現は表に出すよりも、むしろその想いを大切に心にしまって、一つ一つの言葉や音、動きを優しく、丁寧に演じたほうが、受け取り手に伝わると私は思います。
「ノッテ・ステラータ」や「春よ、来い」は立ち上がる強さや春の到来を願う、温かで優しい想いを込めたプログラムですが、私たちはそこに羽生選手自信の心に秘めた「悲しみ」の想いを感じ取るので、あんなに美しいと感じるのではないでしょうか。
何年か前だと、羽生選手の生の感情が見えて、見ていてつらくなると感じるものがありましたが、最近は表現方法にいっそう深みが増し、悲しいほどの美しさがありますよね。
一方、アイスショーで演じた「マスカレイド」や「クリスタル・メモリーズ」はまさにその状況を楽しんでいるとな感じました。Toshlさんの経験や想いが詰まったものだから、想いを大切に受け取り、その状況(想い)を全身全霊の演技で表現することを楽しんでいるように感じました。
FaOIについては「表現の翼を広げる」に書いています。
来月にはいよいよ羽生選手の初戦となるオータムクラシック。新プロの発表が待ち遠しいですね。競技プロこそ感情に流されず、冷静でなければならないと思うのですが、その中でどんな進化した表現を見せてくれるか楽しみです。
ではまたね
ヴァムザー先生と私
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
最新作
たなばたさま![]()


