愛子さまの世界平和に関する記事を取り上げます。

 

 

6月23日の沖縄戦終結の日、8月6日の広島原爆の日、8月9日の長崎原爆の日、8月15日の終戦の日を「忘れてはならない4つの日」として、天皇ご一家と上皇ご夫妻はこの4つの日に毎年黙とうされています。

 

放送作家のつげのり子さんは、

 

「日本人が忘れてはならない“4つの日”に必ずお住まいで黙とうをささげられていますが、そうしたご両親の姿を毎年、愛子さまは見てこられています。上皇さまや美智子さまから戦中、戦後の話を聞いたり、ご家族の中で自然に平和の大切さのを意識づけが行われてきたのは間違いないと思います

 

と語りました。そのような環境で育った愛子さまは学習院女子中等科2年のとき、戦後70年の特別展に足を運ばれました。2015年は、日本はちょうど戦後70年あたる年。世界に目を向けると、その前年にはクリミア危機が起きていました。

 

中央区ホームページ/令和6年度 「伝単」―戦時下にまかれた印刷物

 

「愛子さまはご両親と共に、昭和館で、戦後70年の特別企画展『昭和20年という年~空襲、終戦、そして復興へ~』をご覧になりました。愛子さまにとって、こうした戦争の展示を見学されるのは初めてのこと。そこには、国民学校に通う女子児童が終戦の日に玉音放送を聞いたときの作文などが展示されていました。

 

それらの展示品を見る愛子さまの表情は、すごく強い衝撃を受けていらっしゃいました。このころから平和に思いを馳せておられたのではないかと思うんです。その時の愛子さまのご様子はいまも忘れられません」

 

広島平和記念資料館(広島県広島市)の見どころ・アクセスガイド|胸に迫り来る、本当のヒロシマ。|tabicocolo

 

さらに、中学校生活最後の16年に愛子さまは修学旅行で広島県を訪れている。原爆ドーム、平和記念資料館などを訪れ、卒業文集に『世界の平和を願って』と題した作文を書かれています。

 

「中学校生活の3年間は、戦時下の様子を伝える資料やその時代に生きた人の足跡に触れて、自分の中に芽生えた気持ちと向き合い、考えていかれたのではないかと思います。平和を願うお気持ちがしっかりと確立されたのではないでしょうか

 愛子さまが万博見学 大阪・関西万博の「…:2025年大阪・関西万博 写真特集:時事ドットコム

5月9日に大阪・関西万博を訪れた際、愛子さまはシンガポールのパビリオンで都市生活と自然の共存に関する展示を見たあと、パネルに自分の夢を書くとその文字が球面の天井に映し出される演出を体験されました。

 

愛子さまは「自分の夢」に何を書かれたかというと、「世界平和」でした。

 

「“自分”の夢を問われて、『世界平和』と書かれるとは、よく考えると驚きですよね。しかし、これまでの愛子さまの経緯を知れば、その思いは強いことがわかります」

 

愛子さまの父である天皇陛下は戦後生まれで、戦争を知らない世代に戦争の記憶と平和への思いを継承していく大切さを記者会見などで繰り返し語られています。そのバトンはしっかりと愛子さまが受け取っているようです。

 

記事より抜粋しました。

 

”夢は世界平和”と両陛下からのバトンを しっかりと受け継いだ愛子さまは堂々と答えられました。なんとも力強い決意だろうと感動しました。戦争へと流れを変えようとしている与党ですが 日本は非戦の国の意思を貫くべきです。戦争を止める努力ができる民族であり続けたいです。

 

 

【愛子さまの大阪万博ご視察のご様子】

 

 

 

 

お亡くなりになった美輪明宏さんの名曲 よいとまけの唄の誕生秘話を取り上げます。

 

 

「こんな世の中を生き抜く武器は愛の言葉しかありません この世のすべての問題を解く鍵は愛です 愛があれば戦争なんか起こりません 美輪明宏」

 

 美輪明宏 | パーソナリティ一覧 | TBSラジオ ときめくときを。

 

これは 本人が常々口にしていた言葉だといいます。 美輪さんは、戦後70年の節目であった2015年に「週刊朝日」(7月24日号)のインタビューに応じ、こう語っていました。

 

私は、時代の目撃者だと思っています。日本は長い間まとってきた軍国主義の衣装を、1945年の8月15日を境に、民主主義へと衣替えをします。私たちはいまだ着こなせずにいます。それでも、しわの寄った襟や裾を引っ張りながら、何とか歩いてきました。立派だと思いますよ。

 

昭和軍歌 軍国歌謡の歌と戦争の記憶 歴史 菊池清麿著 アルファベータブックス|Yahoo!フリマ(旧PayPayフリマ)

 

戦争が始まると、甘美な空気は一変。軍歌、軍国歌謡が流行歌に取って代わりました。質素倹約が美徳とされ、化粧やおしゃれをすれば非国民だとなじられました。

 

「ブルースの女王」と呼ばれた淡谷のり子さんは、そうしたなか何度も戦地へ慰問に行った、とご本人から伺っています。兵隊さんの前で、「別れのブルース」や「雨のブルース」を歌うと、軍の上官に、「退廃的な歌はダメだ。淫売みたいなドレスはなんだ」となじられ、モンペに着替えろと命じられます。それでも淡谷さんはドレスを脱がず、「殺されてもかまいません。死にゆく若者が最後に見る日本女性の姿が、モンペなんて情けないじゃありませんか」と答えたそうです。

 

幼稚なジャリタレは歌手でなくカス」とぶった斬った毒舌家・淡谷のり子は笠置シヅ子のことは認めていた【2024上半期BEST5】  松田聖子はNG、岩崎宏美はOKとした淡谷のり子の辛口発言 | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

 

芸術が、文化が、抹殺されようとした時代でした。私の三味線のお師匠は、特高警察に「なぜ銃を持たないのか」と、三味線をたたき折られたそうです。英語は「敵性語」、英米音楽は「敵性音楽」だと禁止されました。バイオリンではなく、「ひょうたん型糸こすり器」と呼べという。笑いバナシにもなりませんよ。

 

「オズの魔法使」で有名なジュディ・ガーランドがお忍びで慰問に来たことがありました。私のファンの米軍将校と一緒に、将校クラブに行くと、ジュディは歌って踊って冗談を言って、客席中が盛り上がっている。彼女のステージを見て初めて、「ショー」の意味がわかった。私は銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」で、それをやり始めたんです。

 

『ジュディ 虹の彼方に』主人公のジュディ・ガーランド、幼少期に受けた壮絶な虐待やセクハラの数々 | フロントロウ

 

「ヨイトマケの唄」へと導かれたのは、そうしたときです。手配師の手違いで炭鉱の町で興行をすることになりました。会場の公民館に行くと、爪や皮膚のシワまで炭塵だらけのお客さんがゴザに座っていました。貧しい生活のなかから、お金を払って歌を聴いてくれている。でも、日本では彼らのための歌は、「炭坑節」といったものしかない。

 

それならば、自分が労働者のための歌を作ろうと、「ヨイトマケの唄」を始めとする一連の歌が完成したのです。従軍慰安婦の女性たちから聞いた悲惨な話は、「祖国と女達」として歌いました。顧みられることのなかった人たちへ、歌を捧げたいと思いました。

 

絶滅危機」シャンソンにスターたちも焦り 出演料下げ運営に協力 [写真特集1/8] | 毎日新聞

 

私は戦後70年を経た日本に希望も感じています。原宿から発信された「カワイイ文化」は、海外から注目され、レディー・ガガも原宿で洋服を買い占めるほどです。権力による抑圧と忘却の時代を乗り越えて、いままさに新しい若者文化が発信されようとしています。

 

記事より抜粋しました。

 

性別を超えた不思議な魅力にあふれた方でした。天使という分類に入る方なのかもしれません。いろんな分野で活躍されて たくさんの方を励まされてきました。美輪さんの遺志を受け継いで美しい日本文化と 若者の未来を 戦争で壊さないよう守っていかなければならないと思いました。

 

 

【美輪明宏さんの圧巻のアフレコ】

 

 

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滋賀県米原市では、シラサギが羽を広げたような姿の珍しい花、「サギソウ」が見ごろを迎えています。  

 

米原市の山あいにある「山室湿原」に咲く「サギソウ」。市の天然記念物に指定されている湿原で、可憐な花を咲かせています。  

 

サギソウは、日当たりのよい湿地に自生するラン科の多年草で、高さ15センチから40センチほどの茎の先に、シラサギが翼を広げたように見える純白の花を咲かせます。  

 

環境省のレッドリストでは、準絶滅危惧に分類されている貴重な湿原植物で、地元の人たちによって環境が守られています。  

 

サギソウは、8月末ごろまで楽しめるということです。

 

 

ほんとにシラサギが飛んでいるような可憐な花ですね♪

 

地元の方々の保護で 今年も綺麗に咲いてくれましたハート