改正皇室典範が公布後、行われた世論調査では、政府の決定とは大きく乖離する驚くべき結果が叩き出されました。その検証をめぐる所功氏の記事を取り上げます。
読売新聞の調査(7月24〜26日)では、皇室典範を再改正して女性天皇を認めることに「賛成」が85%に上り、「反対」の8%を圧倒しました。同時期の共同通信の調査でも賛成が81.0%を記録しています。
従来から女性天皇への賛成は7割前後と高水準でしたが、今回の改正で女性天皇の実現や「愛子天皇」の可能性が事実上閉ざされたことで、国民の支持がさらに急増する格好となりました。
全国紙記者は「“立法府の総意”として成立させた改正に対し、国民が明確な『NO』を突きつけた形だ」と指摘しています。この決定的な世論とのギャップを政府はどう捉えているのでしょうか。現状について京都産業大学名誉教授で皇族文化史が専門の所功氏に検証してもらいました。
「現行の憲法には「皇位は世襲」と定められています。したがって、天皇の位に即けるのは、古代以来の血統(皇統)に属する皇族であれば男女を問わないはずです。しかし、戦後に制定された皇室典範は、明治の旧皇室典範と同様、それを「男系の男子」に限定しています。これは持続困難な原理主義であり、早晩破綻することでしょう。
当然ながら皇室は一般社会と同様に「一夫一婦制」であって、その夫婦間に男子が生まれる確率は半分程度です。それどころか、今の天皇と皇后のもとには皇女がおひとりだけであり、また皇嗣秋篠宮文仁殿下と同妃のもとには2女1男しかおられません。
それにもかかわらず、約80年ぶりに一部改正された皇室典範では、男系男子限定主義を貫徹することになりました。そのため、もし皇嗣秋篠宮文仁殿下の長男である悠仁親王が結婚されても男子に恵まれなかった場合、いわゆる旧宮家(すべて伏見宮系)の男系男子の末裔を養子皇族にしておけば、次の代から男子が皇位を継承しうる、という無理を通したことになります。
しかし、その養子皇族と同妃のもとに必ず男子が生まれるとは限りません。ちなみに、戦後まもなく皇籍離脱した当時11あった宮家で、男系男子による相続を継続できているのは半分以下の4家しかなく、その中から15歳以上の男子を養子として何人も出せるのか、はなはだ心もとないといえます。
そうであれば、明治以来の無理な制約を改め、皇室典範の第一条を「皇位は、皇統に属する皇族が、これを継承する」と定めるべきです。ただ、その資格を、西洋王室のように男女の別なく「長系長子優先」とすることを直ちに実現することは難しいでしょう。
なぜなら、古代以来の皇位は、大多数が男子皇族により継承されてきた歴史があり、今後も男性のほうが天皇の役割を担いやすいという考えも根強くあるからです。また、女性は妊娠・出産などで公務を休むことも予想されます。しかし、万が一に備えて皇族女子による継承も公認しておく必要があり、20年〜30年先には皇室の環境と国民の理解が整えば、長系長子優先も可能になると思われます。
皇女の愛子さまは、皇室典範の制約が続く限り天皇にはなられませんが、今回の改正により結婚後も皇族として皇室に残ることができます。
今後、愛子さまが皇族としての役割、つまりご両親を支えられることだけでなく、国内外でのお出ましなどを重ねて国民の理解評価を高められると「なぜあの方が天皇になれないのか」という声、あるいは即、天皇にはなれなくとも、「将来に備えて即位の可能性を広げるべきだ」という声が、早ければ3年、遅くとも5年くらいの間にだんだんと高まってくるのではないでしょうか。
記事より抜粋しました。
政権が変わらなければ 皇室典範改正もないと思っているので次回の選挙では愛子天皇推しの候補にしか投票しません。そう簡単にはいかないかもしれませんが いつか必ず 愛子天皇となる日を実現させたいです✨
【愛子さまのまわりは愛で包まれる】
高市氏の「日中戦争は自衛のため」発言の反響に関する 遠藤誉氏の記事を取り上げます。
今年7月27日、中国共産党機関紙「人民日報」の姉妹版「環球時報」の微信(ウェイシン、WeChat、中国版ライン)が<高市早苗黒歴史、再び明るみに!>と題して、2002年に田原総一郎氏から「無知!幼稚!」と罵倒された高市氏の「日中戦争は自衛のため」発言を報道しました。
すると中国のネットは荒れ、その勢いが台湾にまで波及して、7月29日、台湾の「中天新聞」のテレビ番組が激しい口調で高市批判を展開し、7月30日には大陸にエコーして戻り厦門衛視(衛星テレビ)が「高市早苗は悪の極み!」と叫び、台湾の中天新聞のテレビ番組の一部を切り抜いて報道しました。
2002年当時の「高市発言」は2025年11月の「高市発言」と根本的には何も変わっていません。このような思想傾向は、岸信介(元総理)の歴史観に根差していることは明らかですが、そこに統一教会が乗り、長いこと日本人の思考を方向付けてきたように思われます。
田原:日本の戦争は自存自衛の戦争だと思うか?
高市:私はそう思います。
田原:冗談じゃないでしょ。満州事変なんて日本の軍隊がね、関東軍が仕掛けてやったんだよ、あれは。でっち上げて。あれは明らかに侵略戦争ですよ。
中国だってね、日中戦争なぜやんなきゃいけなかった?あれがなんで自存自衛よ?中曽根さんだってね、満州事変はおかしいって言ってる。小泉さんも、おかしいって言ってる。なんで満州へ、なぜ日本が自衛のために攻めて行ってね、あんな国つくんなきゃいけなかったの?
高市:そういう意味では、当時の国際的な常識、国際社会としての潮流から考えると、まあ、植民地政策っていうのが当たり前に行われててですね…
田原:全然違う!いいか?ワシントン条約で新たな植民地は作らないと、中国に対して門戸開放で攻めて行かないと、決めたじゃないか。日本もそれに調印してるじゃないか? まったくのこれ、違反だよ。あんなものをね、あなたがね、自存自衛って、無知だよ。そんな無知が国会議員やってるのおかしい。
高市:少なくともね、私はセキュリティのための戦争だと考えてます。
田原:幼稚極まりない!
田原総一朗氏の特徴として、相手が言い終わる前に相手の言葉を遮り、自分の主張を喋りまくるので、高市早苗氏の主張をもっと聞きたかったと思いますが、彼女は「日中戦争を日本の自衛のための戦争で、当時は世界的潮流として植民地政策というのがあったのだから、日本も自国のセキュリティのためにやったのみだ」と言っているようです。
高市早苗氏は総理大臣になると、自分のブログで 以下のように書いています。(現在ブログは削除されています。)
何年も前のことですが、私があるテレビ番組で、「首相や閣僚は靖国神社に参拝するべき」だという私見を述べ、先の大戦当時の日本国の国家意思について「自存自衛の為の戦争だった」と発言したことがありました。
この時、司会者からは「無知で下品」などと罵られました。司会者による人格攻撃に怒りを覚えながらも、生番組でしたので激高しないように必死に堪えました。その直後に、寬仁親王殿下とご一緒する機会がありました。
殿下は、そのテレビ番組をご覧になっていたそうで、私の考え方に賛意を示して下さり、励まして下さいました。その後、妃殿下のご実家である麻生太郎元首相ご一家のお話なども面白おかしく話して下さり、少々気落ちしていた私を思いっきり笑わせて下さいました。
自分の主張が正しいのなら、自分の論理として主張すればよいものを、権威ある「寬仁親王殿下」の名を借りて、「殿下に肯定していただいた」と自分の正当性を主張するやり方はいかがなものか。そもそも皇族は政治に口を出さないことになっているのに、その規則を犯したことをご本人に無断で公開していることも非常識です。
ましてやいま現在「皇室典範改正」で問題となっている麻生太郎氏との「妃殿下」の個人的関係を明かしており、この消されたブログは、高市早苗の”人となり”を知る上で貴重です。
7月29日、 台湾メディアの「中天新聞」が
<高市早苗「APECで習近平に会いたい」だって?苑挙正が「絶対に不可能」と激怒:中国本土の譲れない一線を越えておきながら、氷を割ろうとでも思っているのか? 高市が態度を一変させ、中国大陸は「重要な隣国」と譲歩だと?呂礼詩が「北京はその手は喰わない」と反論>
という、実に長いタイトルのユーチューブを公開しました。この番組の4分あたりから、高市早苗氏が2002年に言った「日中戦争(番組では対中侵略戦争)は日本の自衛のための戦争だった」という発言に対する強烈な批判が、台湾大学教授・苑挙正により展開されています。
7月30日には大陸の厦門(アモイ)衛視(衛星テレビ)が
<高市早苗はかつて、日本が自衛のために戦争を始めたと妄言を吐いた、苑挙正が痛烈に批判:悪の極み!>
という見出しで、台湾の中天新聞で苑挙正が激しく展開した高市批判部分を切り取って報道。厦門あたりになると、距離的に近いことも手伝ってか、大陸と台湾と混然一体になっているという感を覚えます。
1950年6月に朝鮮戦争が始まり10月に中国が参戦すると、当時日本を統治していたGHQは米軍の弱さに慌て、牢獄にいた日本人「戦犯」を出獄させました。

二度と軍事化してはならないと指令した日本に、「警察予備隊」(のちの自衛隊)の名を借りて戦闘能力を高めるため、戦犯として監獄にいた旧日本軍や旧満州国の幹部をマッカーサー(元帥)が釈放したのです。
中国ではそれを風刺するポスターが数多く作成され、街のあちこちに貼られ、「反対武装日本!(日本の最軍備反対!)」という歌が全中国を覆いました。
こういった時勢の中で岸信介内閣(1957年2月~1960年7月)が誕生しました。岸信介の第二次世界大戦に対する歴史観は以下のようなものであったことを、A級戦犯被疑者として拘置されていた巣鴨拘置所で述懐しています。
●侵略戦争というものもいるだろうけれど、われわれとしては追い詰められて戦わざるを得なかったという考え方をはっきり後世に残しておく必要がある。
●今次戦争の起こらざるを得なかった理由、換言すれば此の戦は飽く迄吾等の生存の戦であって、侵略を目的とする一部の者の恣意から起こったものではなくして、日本としては誠に止むを得なかったものであることを千載迄闡明することが、開戦当初の閣僚の責任である。
●終戦後各方面に起こりつつある戦争を起こした事が怪しからぬ事であるとの考へ方に対して、飽く迄聖戦の意義を明確ならしめねばならぬ。
こういった信条を持つ岸信介を世界統一教会が見逃すはずがなかったのです。統一教会と自民党は「揺るぎなき絆」を結ぶに至ったのです。それは少なからぬ自民党員の組織文化として今も生きています。
2002年のテレビ番組における田原総一朗氏との対話の「高市発言」に如実に表れているのであり、総理大臣になって慌てて自分の過去ブログを削除しても遅い。高市早苗氏の主張の善悪は別として、彼女の信条は今も変わっていません。
民主主義的な選挙が行われているように見える日本ですが、まるで自民党一党独裁に近いような選挙結果が生まれる背景にも、統一教会の票集め力と、ほぼ自民党の組織文化化した思考傾向が、戦争を知らない年齢層の思考傾向そのものになっていて、少なからぬ日本人は決して「自由度の高い、束縛のない思考」の下で投票行動を行なっているとは限らない現実を憂います。
高市早苗は、その思想傾向の真っただ中にあることを認識するためには、良い分析対象であったと思う次第です。
記事より抜粋しました。
皇室簒奪問題や 憲法改正問題が起こるまで 私は政治に無関心でした。危うい平和の中に どっぷり漬かっていて 地下のマグマに気づいていませんでした。自民党が皇室を破壊して日本が 戦争ができる強い国になるという理念を持っていたことも気が付かなかったです。
台湾と日本は仲良しだと思っていたのですが ここまで高市首相を批判しているのには 驚きました。今の日本の状態を世界がどう見ているのかを冷静な目で確かめないといけないと思うようになった記事でした。
【故村山首相に噛みつく高市首相】
姫路市の世界遺産・国宝姫路城で、大天守の床を磨くイベントが行われ、親子連れが汗を流しました。
このイベントは若い世代に地元の遺産への愛着を育んでもらおうと実施されているもので、24組の親子が大天守の1階で床磨きを行いました。
この日は、天守が国宝に指定されている島根県の松江城や愛知県の犬山城など4つの城でも同時に床磨きが実施され、それぞれと中継を結んで交流も行われました。
姫路市との姉妹都市提携60周年を迎えた長野県松本市の松本城には、清元市長が訪れていて、床磨きに精を出す子どもたちに中継を通してエールを送っていました。
チビッ子が 大人 顔負けのコメントを出しているので頼もしく思えました。
日本のお宝を大切にして いろんな世代の人に
知ってもらいたいですね![]()




