雅子さまが適応障害と診断された背景には何があったのか 大木賢一氏の記事を取り上げます。
「人格否定発言」を受けて、明仁天皇はその年の自分の誕生日の文書回答で、
「その後、何回か皇太子からも話を聞いたのですが、まだ私に十分に理解しきれぬところがあり、こうした段階での細かい言及は控えたいと思います」
と述べられました。
この言葉に一種の「当事者性」のようなものを感じずにはいられない。秋篠宮の言葉を見ると、その感覚はさらに増幅されます。秋篠宮は同じ年の自分の記者会見でこのように話しました。
「少なくとも記者会見という場所において発言する前に、せめて陛下とその内容について話をして、その上での話であるべきではなかったかと思っております」
やはり明仁天皇の「当事者性」を感じるのです。
「せめて当人には事前に話を」というニュアンスである。「せめて」とは「最低限」という意味であり、「最低限」でなければ誰に話しておくべきだったというのだろうか。

私は、雅子さまの不調と明仁天皇夫妻の関連性という点で、無視できない証言を得た経験があります。私は雅子さまの詳しい病状を知りうる立場にいた東宮職幹部に、病気から回復しない雅子さまの抱えるストレスの因子とは結局何なのかとしつこく問うたことがあったのです。
重い口をなかなか開こうとしないまま2年が過ぎ、ついに私は「ストレス因子は天皇と皇后そのものである」との証言を引き出しました。

雅子さまの診断名である「適応障害」は医学的に「6カ月を超えて続くことはない」と定義されていて、6カ月どころか何年たっても完治しないことを疑問視し、「本当は鬱病ではないのか」とささやく記者も多かったのです。
適応障害は正確には「ストレス因子が消失または軽減した後、通常6カ月以内に症状が改善する」のであって、ストレス因子が変わらず存在する限り、何年でも続くという説明を、私は何人もの精神科医から受けました。
雅子さまは美智子さまから毎日のように「皇太子妃の在り方」のようなことについて話を聞かされていたそうです。私が聞いたところでは、ごく最近のインドネシア訪問(2023年6月)に至っても、帰国した雅子さまに対し、美智子さまは「徳仁天皇より目立っていた。皇后としてふさわしくない」と小言を言ったそうです。
いくつかの証言をもとに考察してきて、出産圧力や外国訪問の制限といった個別の問題とともに、明仁天皇夫妻との関係も深く関与するところがあったのではないかという結論に至りました。 そして、より根本に位置する問題として、雅子さまの人間としてのありよう、個人としてのありようが、望ましい形で発揮できていない現状に対する危機意識があったのではないかと私は考えています。

そこには、「公務」という言葉よりも広い意味での、皇族としての行い、皇族の果たすべき「役割」に関する、明仁天皇夫妻との価値観の違いが横たわっていたように思えます。老境に達した70代の夫婦と、40代の息子夫婦。「世襲」の制度から免れることのできぬ2組の夫婦の間に、いわば「家業」をめぐる価値観と方針の相違が存在したことは、世間一般の常識から見て、至極当然のことだったと言えます。
記事より抜粋しました。
皇室という逃げ場のない環境で 美智子さまから過度に干渉される日々は 雅子さまにとって地獄だったと思われます。長い間 耐えていただき 徳仁天皇を支えてくださったことに頭が下がる思いです。
※記事は見れなくなっています。
【雅子さまがロングヘアーだった理由】
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