雪道を散歩する柴犬のタイチくん(6)。  

 

突然、前かがみになると、雪に体をこすりつけながら進んでいきます。  

 

別の日も雪の感触を楽しむように、スリスリしながら進みます。

 

 雪の感触を楽しんでいるようです爆  笑

 

 

スリスリ スリスリ進むだワン!

 

冷やっこくて 気持ちがいいんだワン💖

 

猫しっぽ猫からだ猫からだ猫からだ猫からだ猫からだ猫あたま猫しっぽ猫からだ猫からだ猫からだ猫からだ猫からだ猫あたま

 

【ばけばけ番外編】

 

西大久保に引っ越してから丸1年が過ぎた明治36年3月、ハーン(ヘブン)は東京帝国大学を解雇されました。

 

日露戦争開戦の1年前、朝鮮半島と満州の支配権をめぐり日本はロシアと一触即発の状況。日本人の自尊心も高まってきていました。給料の高いお雇い外国人に頼らずとも、日本人の力で近代化をやり遂げることができる、そんな風潮が顕著になっていました。

 

小泉八雲が愛したまち 焼津 | 焼津市観光協会

 

東京帝国大学でも外国人の教授や講師との契約を打ち切って、欧米から帰国した留学生に置き換える方針を立てていました。講師の身分でありながら大学総長と同額の高給をっていたハーンは、恰好のターゲットだったようです。

 

ハーンの後任として講師になったのは、この2年後に『吾輩は猫である』を発表して人気作家となる夏目漱石でした。情緒的なハーンの講義とは違って、漱石は英語を理詰めに分析しようとする。それが退屈でつまらなくて「夏目なんて、あんなもん問題になりゃしない」などと、学生たちはハーンと比較して批判しました。

 

 

ハーンが貰っていた年俸は約1億9200万円。ロシアとの緊張が高まり軍事費は膨張の一途、その皺寄せで文教予算は大きく削られていました。解雇は仕方のない判断だったのです。

ある日突然に、3月末日での解雇を通告するという事務的な文書が送られてきただけ。そのやり方が気に入らない。冷たい対応にハーン激怒しました。

 

講師を辞めてからのハーンは書斎に籠って執筆する時間が増え、それを手伝うセツの仕事もまた増えていました。神田や浅草などの古書店をめぐり、妖怪や怪談に関する古い文献を探しまわる。手に入れた本の内容をハーンに語って聞かせれば、それが物語に仕上げられてゆく。10年以上も続く2人の共同作業でした。

 

小泉節子 - Wikipedia

 

これは誰のおかげで生まれた本ですか? あなたが学問のある女ならば幽霊の話、妖怪の話、前世の話……みんな馬鹿らしいと言って嘲笑うでしょう」

 

中途半端に欧米流の学問を学んだことで、日本人独特の思考や感性を失ってしまう者は多い。セツも女学校で学んだら、昔話や怪談に興味を持って面白がることはなかったかもしれなかったのです。

 

記事より抜粋しました。

 

ハーンは 自分が日本人になれなかった場合 莫大な遺産をセツと子供たちに残せないため戸籍取得に遁走しました。イライザがハーンの没後に書いた『ラフカディオ・ハーンの生涯と書簡(The Life and Letters of Lafcadio Hearn)』を執筆して、その印税を小切手で小泉セツさんに送りました。

 

ハーンが54歳で急逝した後も セツは支えられて子供4人を育てあげました。

 

 

 

晩年のヘブンとトキを描いてみました。

 

ヘブンとトキが 最後に散歩したのは ヘブンが亡くなる2週間前でした。突然の死で トキは動揺したことでしょう。

 

 

あちらの世界では 誰の目も気にせず 散歩しているのかしら。