今日は父の祥月命日。
3日は納骨でした。
心配した前日の超大荒れのどしゃ降りもすっかり止み
この時期にしては暖かい朝から気持ちの良い天気でした。
教会墓地はちょっと足元の悪い道を上らないといけないので
県外からの年配者には後程報告することになり
市内に住む親せき代表家族と他の家族ら総勢40名ほど集まり
寂しさとホッと一安心した気持ちとみんな一緒という安心感で終わりました。
先週末、父の勤めていた支店のOB会がありました。
退職したもう何十年も経つのに今も家族ぐるみの付き合いがあり
私もLINEなどでやり取りしています。
父が亡くなったことを返信すると父を偲ぶ会をしてくださる話でしたが
楽しい集まりの時なので気持ちだけいただくことで辞退しました。
当日の朝、母が「初めて父が夢に出てきた」と嬉しそうに話しました。
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OB会に出席した背広姿の父が「楽しかった! でも、わしは死んでるらしくて
みんなから香典とお花もらってきた」と両手に抱えて帰宅したそう。
背広を脱いでる父を振り返るとすっと消えてた。。
私は、香典受け取ればよかったのに~と笑いながら母と話したけれど
今まで夢に出てこないのは本人の自覚がなかったのか~。。
父らしいなと思えたり、なんだかな~と思ったり。
本当に会社の社員であることを生涯誇りに思っていた父。
私も社員家族でよかったと思えることが今もってたくさんある。
昭和のその時代は支店の課を超えてたくさんの人が遊びに来て(母は大変だったと思う)私もお姉さんたちにずいぶんかわいがってもらった。
会社の旅行やクリスマスパーティー、寮での盆踊り、、。
社宅から近かったので自転車に乗って寮のおばちゃんに会いに行ったり。(当時
広い芝生の庭があまりなく、そこで遊びたかっただけだが)
楽しかった思い出とこれまでの感謝の手紙を読んでくれていたそうで
たくさんの方からお花や供え物が次々に届きただただ感謝。
父の写真が埋もれて頭しかみえてない。
元気だったとしても年老いて車いす姿では出席はできなかったでしょう。
ビデオレターくらいなら出てくれたかな。
泣き笑いしながら思い出話に花が咲いたと電話いただいた方も。
父が亡くなってもそんなに涙することはあまりなかった。
それまで自分のできることは父にしてあげられたので
後悔がなく、やり切った感があった。(自己満足だけど)
8月頃、理由もなくとめどなく涙が出てきたことが2週間ほど続いただけ。
今回、懐かしい方々のお名前を目にし温かい言葉が本当にありがたく
ただただ涙が出て止まらない。
父のこれまでの苦労もこれで報われるだろう。
今週末は取引先だった方たちも会いに来てくれるとの事。
仕事をしている父は写真でしか見たことないけれど
たくさんの人たちに囲まれてよい仕事がしてきたんだなと、いまさらながら思う。
私は、、夢に出てくるのかな。
いつも話しかけてるので別にいいかな。。と思ったり。
家族としてはいろいろあったけれど、お父さんの娘でよかったよ。
結婚はついぞ許してくれず未だに人いでいるけれど
結果的に後に公私ともによい出逢いがあり、
それぞれ今もずっと続いているから結果オーライ。
お金には相変わらず縁はないけれど
本当に他人とのご縁は本当に自慢できるくらい恵まれている。
文句もよく言うけれど幸せに過ごしているよ。