当時私は新潟の病院で看護師をしており
この日は深夜勤務だった。
朝6時、病棟の患者さんたちの検温に回っていた。
患者さんたちの多くがテレビをつけていて
街から煙が上がり
高速道路やマンションが倒れている…
これは何処で起きていること⁇
検温をしながら、患者さんに聞きました。
『神戸らしいよ…。大変な事が起きてる…。』
7時過ぎに病棟に来たドクターも
『神戸が大変な事になっている!』とテレビに釘付け。
夜勤明けで自宅に帰ってからも
その日はずっとテレビを観ていた。
月々と映し出される映像は驚くものばかり。
うちの病院では、もう夕方には神戸に派遣される
第一陣チームが出来ていたように思う。
それから5年。
まさか自分が兵庫県に住むことになるとは…。
私が5年後に見た神戸は
あの震災のあった場所なのか??と思うほど
街は完全に復興していた。
ケアマネになり
この日になると皆、口数が少なくなる。
街は復興していても、心の傷は癒えてはいなかった。
ある日、災害時看護の研究をしていた
看護大学の先生の話を聞く機会があり
先生自身が東灘区で被災し、
看護師、保健師として駆けずり回った日々や
その経験から、大学に戻り災害看護の研究教育者になられたと。
災害を映像でしか知らない私。
あの日のこと
そして今日までどんな事があったのか
その先生からもっと学びたいと思い
大学の履修生試験を受け、大学で学んだ。
主人の母も当時は市民病院の看護師。
マンションの仲良しご夫婦は自衛隊の衛生(看護師部隊)。
あの日の話をたくさん聞いた。
震災の日。
やはり今日はどこに行っても皆、あの日の事
今日までの苦労苦難を語る日。
私も少しだけ、皆さんの苦労を理解できるようになったかな。
失われた多くの方々の
ご冥福をお祈りいたします。



