子育てをしてるお母さんが子どもの世話に疲れちゃって子どもにひどいことを言ったり、そのあと「あぁ、なんであんなこと言ってしまったんだろう…」と後悔して自分を責める日々を繰り返す、その気持ちがわかる。



早く引き離してくれ



わたしもそう願った。

もう何するかわからかいところまで行ったから。それはお互いにとっての不幸だった。



だから、一時的にでも離れてみるのは策のひとつだと思う。相手と自分のために避難させる。とにかくまづは手にがっちり握ったその荷物をおろすこと。自分の時間をもつこと。




そうすると気づくことがある。




おばぁはだんだん何も出来なくなっていった。

おばぁはもともと掃除とかはほとんどしなかったけど、生ゴミを捨てたり、食器を棚に戻したりは自動的に体が動くって感じだった。留守中は洗濯を取り込んでくれて、たたんでくれた。


だんだん何も出来なくなっていって、わたしの負担が増えていった。おばぁは唯一の仕事だった洗濯物をたたむことも出来なくなった。


何の役にも立てないって、どういうことなんだろうと考えた。何の役にもたってないひとなんかいないはずだ。これはどういうことなんだろう。おばぁがいる間は答えが見つからなかった。だけど、いなくなってわかった。



さみしがり屋のわたしにとって、おばぁが家にいるというだけで充分だったのだ。おばぁがいなくなって気づいた。



「おはようさんです」って、いつもの場所にいてくれるだけでこの家には命や人の気配があった。


昔、母が「でも、ある意味あなたはおばぁちゃんと一緒で良かったのよ」と言ってたのを思い出した。母もまたわたしをよく知っていたのだ。



どちらかだけの為に存在することはない。わたし達はお互いに必要な存在だった、ということ。