前回のつづき

 

 

 

なぜ、あのとき

おばぁがあのコトバを言ったとき

涙がでたのか

感情が動いたのか

 

 

それはたぶん、いやきっと

 

 

ありがとう

すまないね

迷惑かけたね

 

 

が、わたしの性質の何かにヒットしたからだ

だから、悦びの涙がでた

(いいんだよおねがい)っていう

何かこう、人の役に立ててうれしいという悦びの気持ち

 

 

認めよう

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしの一部は“やさしさ”でできている

 

 

だけど、その感情がでてきて涙がこぼれたとき

すぐにわたしはその理由を「知りたくない!」として蓋をした

だから、その後の涙は意味が変わった

 

 

わたしの一部である“やさしいワタシ”を

わたしが存在を認めなかったことに対する「ごめんね」の涙

 

 

自分の中で自分の一部を否定した

あなたを認めない

やさしさなんて必要ない

そんなの認めたら大変なことになる

 

 

 

なぜそんなこと(否定)をしたかと考えたら

そのやさしいわたしは

油断するとついつい自己を犠牲にしてまでやってしまう可能性が大だからだ

※ちなみにやさしさと面倒見の良さはべつものである

 

自己犠牲はわたしの本質の“自由”で“自然体”で“ありのまま”とも相反する

それをさせないために、わたしは自分の一部であるやさしさの質を否定しつづけた

自分の中に認めたくない自分がいる

大嫌いだって否定したって、それは自分なんだからさ

苦しいにちがいない

 

 

そういうことが起きていたのだなぁ

 

 

まぁ、今となってみれば

やさしくたって、やりたくないことはやらなきゃイイじゃん、って

そうなるけどね

 

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ネイルのデザインはココからきたよ