ああいうものを見ると、自分の中で何かが動き出すというか。

 

気づきがおこるというか。

 

それを掘り下げずにはいられなくなるというか。

 

 

 

 

急激に認知症が加速したおばぁから目が離せず、自由を奪われたそんな自分と

 

好きな事だけを、大好きな仲間たちとやってる彼女を比べて嫉妬した。

 

 

 

なぜにこんなにストレスがたまるのかと言ったら

 

もともとわたしの本質は“自由”とか“自然体”とか“遊び心”とか、まるで子どものようなもの。

 

それに対して実際に表面にでてくるものは“責任感”とか“真面目”とか“常識人”といった真逆のもの。

 

そこが水と油のように反発しあう。

 

まるで天使と悪魔ではないか(笑)

 

 

 

だから、認知症のおばぁを実際はわたしが押しつけられて(と感じる)

 

その子どもたちは親の面倒をみることもせず、お金だけをアテにしてて。

 

そんなTVドラマでよくありがちなことを すごくすごく理不尽に感じていて。

 

ところが

 

「お義姉さんはお母さんのお金だけが目当てなんだよ」って言っても、当の本人が

 

「えー?でも、誰でもそうじゃない?」って返してくるおばぁに対してもあ然とするというか。

 

 

 

そうか...みんな、そうなのか?

 

 

 

考えてみたら、自分はそういう見返りのようなものを期待したことがなかった。

 

なぜなら、わたしは例えお金を積まれてもやりたくないことはやらないからだ。

 

 

 

それなのに!!

 

お金ももらってないのに、やりたくないことをしてる自分ナウ!!一番損してるパターン!!

 

そのわたしが「もぉぉぉイヤなんじゃー!このボケがーっ!!」って全部投げ出したくても

 

投げ出せないのは、その強烈な責任感のせいで。

 

 

 

だけど、ひとつ気づいたことは

 

ココロの中の自由までは奪えないということ。

 

 

 

わたしはいつだって、おばぁを捨てられる

 

 

 

選択肢がないと思うだけで、ひとはパワーを失うのだ。

 

わたしには選択肢がないと思うだけで。

 

お金はその選択肢を増やしてくれるという意味において、とても大事かもしれないけど全てではない。

 

だって、わたしはお金をもらったとしても束縛されたくないわけだから。自分らしくいられないなんて、どれだけストレスか(笑)

 

お金よりも自由で、ありのままで、自然体でいることが大事なのだ。わたしにとっては。

 

 

 

だから

 

 

わたしはいつだって、ほんとにムリだと思ったら

 

おばぁを捨てられる

 

やーめた!アホらし、なんでわたしだけが、って。

 

そうココロの中で自由に思うだけで、どれだけ自分にパワーが戻ってくるか。

 

ココロの中はどこまでも自由なのだ。

 

 

 

HappyちゃんのLIVEを見て感じたことが、まさかここに着地するとはのう。

 

 

 

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