先日のGW明け、葬儀費用清算の為、
葬儀社へお邪魔しました。
そちらの事務所は遺体安置所も併設されていて、
お別れ会までの間、そこに富美さんはいました。
多くの友人が富美さんに会いに来てくれて、
お別れ会当日はバタバタしてご列席者に
挨拶もしづらいことが予想された為、
友人が富美さんに会いに
安置所に予約を入れたことが、
葬儀社の方を通じてわかった際は
私もなるべく顔を出し、
友人たちに挨拶させてもらいました。
(私も富美さんに会いたいというのもあり、、
お別れ会の準備をしながら
毎日何往復もしたのを思い出しました。)
清算が終わったあと、ご無理を言って久しぶりに
安置所に入らせてもらいました。
当然ながら柩もなく、
お花だけでがらんとしていて
換気の為開いていた窓から初夏を告げる風が。
「ここに富美さんいたんだよな。。」
涙がこぼれ落ちました。
どういった種類の涙か
自分でもわかりません。
日々、現実逃避ではないですが、
事務的なことと向き合って過ごしてきました。
この場所に来て、1ヶ月半前の記憶が
一気に蘇った気がします。
私は昔から泣き虫で、
自身の結婚式でも富美さんが
義父と入場する前に泣いてしまい、
おおいに富美さんを困らせました(笑)
富美さんもそんな泣き虫の私に気を遣って
強くいてくれた(させてしまっていた)部分も
あるのかな、と。
今更ながら強くならねばと思っています。
娘にも『パパは泣き虫だよね~。
「はじめてのおつかい」で
いっつも泣いちゃうもんね』
TV鑑賞で涙が出そうという時には
ソファの後ろにさりげなく移動し、
涙を隠していたつもりだったのですが
娘にはお見通しだったようです。
娘も自称泣き虫で、、
以前こんな話をしてくれました。
『昨日まで3日連続学校で泣いちゃったんだぁ』
ちょうど学校が年度末で、
・転校してしまうお友達のお別れ会
・6年生を見送る会
・終業式後、担任の先生の最後の言葉
3日連続、お別れというか
バイバイをしなくては
いけない状況だったようです。
この会話が
富美さんが亡くなる数日前の話です。
ですので、富美さんとお別れしなくては
いけない状況でママ大好きの娘のことが
一番の気がかりでもありました。
果たしてママがいない現実と向き合ったとき
彼女はどうなってしまうのか。。
泣かないのです。
富美さんが亡くなる直前、容体が急変したと
病院に呼ばれ、苦しんでいるママを見て
泣きじゃくったのを最後に
私からママの最後を知らされて以降、
泣いていません。
少なくとも私は彼女の涙を見ていません。
勿論、私の知らないところで
人知れず泣いているかもしれません。
富美さんと娘がバイバイしてから
・いつも以上のハイテンション
・いつも以上の甘えん坊ぶり
・若干、我儘が増えた
と、一定の変化は見られます。
まずは全て受け止めようと思っています。
しかし泣かないのです。
早くに母を亡くした友人いわく
何でもない、授業中とかに
突然悲しみが襲ってきて
涙が止まらなくなったことが、と。
当初は、「ママ」という単語、
またママを想起させる単語には
若干ナーバスに私自身なっていたのですが、
杞憂でした。
娘とは、食事の時もママを囲んで
銀平がふざけた顔をすると
「ママ笑ってるよ~」とか
私がいけない?ことをすると
「ママに怒られるよ~」など
会話の中心に富美さんがいます。
娘の中では、まだママは近くにいて
今もママの携帯へメッセージを送ったりしています。
28日の「おやすみ」というのが
富美さんからの最後の返信。
容体が急変して病室でママに会っていた時、
大大大すき、とメッセージを送っていたことは
知っていましたが、
ママの容体が急変して学校から
病院に向かう14時前にも
「ママは、つよいよ。」と
メッセージを送っていたようです。
旅立った翌日にもそして現在に至るまで
不定期的にママとの会話は続いているようです。
この先、何度もママのいない寂しさに
彼女自身押しつぶされそうになることも
あると思います。
その時、父として何をしてあげられるか、
寄り添い、抱きしめ、一緒に泣こうと思います。
そしてお互いどれだけ
ママのことが好きで
会いたいか、
ママの好きなところを言い合おうと。
私自身、娘の前では極力(お別れ会以降)、
涙を見せていないので、娘もパパの前で
泣いたら、パパがツラくなっちゃう、と
遠慮しているのかな、と
だから泣きたいときは泣いていいよと
我慢しなくていいよ、と。
少ししんみりしてしまったので
躍動感のある銀平をラストに!
(photo by 娘)
娘の強さ、弱さに感謝✨
銀平の躍動感に感謝✨




