最近、インディオの生活について書いてある文章を読みました。
私の中で、アマゾン奥地で生活しているインディオの人達って、
(なんでいつまでも文明を発達させようとしないのだろう?)
って思っていたんですけど、
まずその発想自体が間違いであることに気づかされました。
インディオの人達は、文明を発達させたいのではなく、
「環境を破壊してまで便利さを追求しない」のです。
その言葉に、ハっとさせられました…。
そうか、、そうなのか、、。
そして、インディオの人たちの儀式。
これにすごく興味がわきました!!
男女ともに、大人になるための通過儀式というのがあるのですが、
その方法は、部族や部落にとって違いはあれど、どれもこれも生死にかかわる大変な物のようです。
たとえば、私が読んだ文章では、
男の子は13歳くらいになると、村の呪術師が調合した毒性の強い薬を飲むらしい…。
数日心身ともに苦しみをともない、生死の境をさまよいながら、時には死に至ることもあるそうで…。
でもそれを乗り越えないとインディオの世界では生きていけない。
女の子は、初潮を迎えたら、
家の片隅に個人が休める程度の空間を作ってもらって、そこで一年間、誰とも会わず、話さずに生活するんですって。
食事とかは間仕切りの間から差し出されたものを食べる。みたいな…。
これも、、、かなり精神的にも肉体的にもツラいよね。
でも、この通過儀式みたいに
過酷な環境下に身を置き、自分の内面と対峙することで、
大人の階段を登ることになるという…。
この通過儀式を終えると、見違えるほど子供たちは自信に満ちた表情に変わっていると書いてありました。
なんか、、すごいですよね。
日本では考えられない。。
七五三も二分の一成人も、成人式も、
ここまでよく育ってくれた、ありがとう!みたいな感じで
子どもに着物着せてごちそう用意して、みんなでちやほやする感じじゃない!?
しかるべき年齢で、
ちやほやされた日本の子供たちと、
自分の内面と対峙して生死を身近に感じたインディオの子供たちとでは、
もう、まったく違う人間が出来上がるわけだわ!!
そういっても、かわいい我が子にインディオの子供たちのような通過儀式をさせられるか、といったら、無理。。。
冗談でなく子供の生死にかかわることなんだから、気狂うくらい気になって気になって!!
儀式が無事に終わるか気が気じゃなくなると思う。。。
でもね、インディオの親は、日本の親みたいに子供を自分の所有物って思わないから。
村全体で育てるから、誰が親で誰が子、ってことでなく、
神様からの授かりものって思っているから。
そう考えると、インディオの人達の生き方は、
まるっきり日本とは違うわけで、
目からうろこどころか、全然別の異次元の世界を見ているような気になりました。
ちなみに文字も発達していないから、村の掟などは全て長老が言葉だけで伝承しているスタイルらしいです。。
(文字だけでも発達させたら?)とか思っちゃうのは余計なおせっかいだろうか。。
…ところで、、
男の子が13歳で毒性の強い薬を飲んで、心身の苦しみを伴い生死の境をさまよいながら、
自分の内面と対峙していくってすごく怖いし辛いと思う。
数日…もっとなのかな。とにかくその状態に一定期間耐えるわけだ。
…わたし、、ちょっと違うかもしれないけど、
この何不自由ない日本において、仮にこういうった儀式と同じような苦痛を伴う物って
なんだろう…って考えてみたんだけど、
例えば
「失恋」「別れ」、これの痛みってどうだろうか???
ある日突然、前触れもなく…または何とはなく分かっていたけど、と状況は違えど
相手から強烈な毒を食らうわけだ。
恋に身を焦がしてきただけに、その苦しさが身体中に広がり、心身をむしばむ。
悲しみ、苦しみ、嘆き、怒り、…いろんな感情が爆発していき、自分で自分をコントロールすることが難しくなる。
一通り体中から自身の叫びを出した後は、すっからかんになり…。
でも、そこで心身が疲弊しダメになってしまう人もいれば、
猛烈なパワー、エネルギーにかえて次の一歩を踏み出す人もいる。
自身の内面と対峙する、と言う意味でも、「失恋」「別れ」って、
この自分で感情をコントロールするのが一番難しいところを、それでもなんとか乗り越えて全てを受け入れて生きていかねばならぬ、的なところが、インディオの毒の儀式とある意味似ているなーと感じたんですよ。
違うかな???
でも、「失恋」「別れ」ってその人を一回りも大きく成長させてくれるスパイスだと思うし、
そうやって恋に区切りをつけていくことで、人間的に深みが出てくると思うんだよね。。
話がそれましたが、インディオの生活、なかなか興味深い内容でしたよ!!!