おはようございます
熊本 三角の山在住セラピスト
ポ多美☆こと山本多美です。
波乱万丈な人生を過ごす中で
何気ないしあわせに気付けるしあわせ❤️
同じ出来事も
何にフォーカスするかで
見え方が変わりますよ〜
なんて✨
セラピストの私は
よく対象者の方に伝えてました。
1970.元気な女の子誕生❤
多いに美しくとの願いを込め 多美と命名
実は〜はじめから多美ではなかったそうです。
父が知り合いの方に姓名判断で勝手につけて…と母から聞き…母が多美なんて嫌いだったのに〜と呟いてましたので、私も自分の名前が嫌いでした。 あっ今では好きですけどね〜😘
元気な小学生時代⁉️
小学校入学後、原因不明の頭痛が続いたそうで…
一週間精密検査をした事を覚えてます。その時、なぜか学年代表で全校生徒の前で発表する機会があり…いつの間にか頭痛は消えてたみたいです。
幼い頃、数人に囲まれて鉄パイプで頭を叩かれたり〜自転車で転倒して頭をぶつけ嘔吐したり…頭に関する事があった。だから、精密検査を受けたんだろうなぁ〜親に感謝✨だね。
小5 腰痛が始まるが信じてもらえず
4年生の頃からバレーのセッターをしていたのですが…小5 バレーのサーブの時 腰をギクッと〜近くの病院に行くと、腰の骨が一本多い!運動不足‼️と言われる。父に、本当はバレーしたくないだけでしょ〜なんて言われ信じてくれないのねとショックだったかも😭
児童会長になるポ多美☆
学級委員にもなった事がなかった私が 友達の推薦で一気にトップに😉 副会長 書記は学級委員の常連さん❤️ 何も知らない私だったから〜何でもやってみたい事をやらせてもらったんだよねっ
新聞作ったり みんなの声集めたり 楽しい児童会にしてくれたのは、応援してくれる仲間がいたから❗️感謝✨感謝✨だよね〜
中1からバレーのレギュラーに❗️
腰痛はありましたが、痛み止めの注射と牽引をしながら…なぜか先輩たちに混じり1年の頃からレギュラーとなりました。意地悪する補欠の先輩。同級生からは羨ましいがられ…私もみんなと一緒にボール拾いの方がいい❗️と何度も影で泣きました…しかし、大好きな先輩と一緒にバレーができる事をモチベーションに変え 頑張ってたなぁ〜私❤️ 今も大好きな佳子先輩とは仲良しです。
憧れの先輩と同じ高校に合格する💮
佳子先輩と同じ高校に行きたい‼️そう思ったから…願いが叶いました。そこで、なぜかバレーをする(先輩はバレーしてなかったのに〜笑)
セッターとして県で一番❗️と言われていた小学生時代…しかし、高校では全く通用せず…アタッカー、レシーバー何処をやっても無理で…頑張り続けると持病の腰痛が酷くなり、左下肢にはしびれが出現。 整骨院で大きな病院に診てもらいなさい❗️と勧められ〜第五腰椎分離すべり症と診断される。
運動不足から運動禁止(体育の授業も)になる。
同級生に、「腰の骨が折れてると言われたよ〜」と伝えると 「歩けるのに折れてるハズがない」などなど言われ ショックを受けたよね😅
また、病院では「女の子だから。。。と手術をせずに〜」との事でしたが、手術をしてはじめて「 こんなに酷かったんなら早く手術してあげとけば良かったのに ゴメンね」と主治医が言ってくれる。
3ヶ月のベッド上生活で見つけた夢✨
手術をする前は、「手術が終われば〜生活はもちろん運動だって今まで通りできるよ❗️」と言われてましたが…実際は…
留年したくなくて リハもそこそこで退院しました。そのせいか…痛みがとれませんでした。頭痛、めまいがひどくなりました。
結局、再入院→留年になりました。
で、胸郭出口症候群(頚肋➕寝たきり生活によるもの筋力低下で神経・血管の圧迫)とわかりました。
その時、
『この痛みは一生治りません』
Dr.に言われ…ショックでしたが…
すご〜くショックすぎました😭
どうやって生きていったらいいのかわからなくなりそうでした。
しかし
だからこそ
心身にアプローチできるセラピストになる❗️
(一生ひとりで生きる‼️秘かに😅)
と決めるんです😊😊😊😊😊
夢があってよかったなぁ〜と思います✨
時間はかかったけど…
作業療法士になりました❤️
留年してからはあまり高校へは行ってません。
保健室に行き、「腰痛から首が悪くなるハズがない❗️逃げてるだけでしょ、保健室を逃げに使ったらダメ‼️」とかなんとか言われます…だから、私は進路相談室と言う名の居場所に出逢いました。
私の夢は セラピストになる事と言うと
「貴方が患者なのに〜」と笑われたり馬鹿にされたりだったけど…凄いね✨なれるよ✨とはじめて❗️認めてくれる人に出逢い…
セラピスト 養成校入学(o^^o)
セラピスト養成校で、
同じ夢を持つたくさんの仲間に出逢う。
毎日がワクワクで楽しかったなぁ〜😘😘😘
腰が悪くて学校にはあまり来ないけど
学年トップだよ〜 後輩に説明する先生😜が印象に残っています。
長期実習中、移植していた骨が繋がってないとわかり…トランスファーをしようとするとさせてもらえなくなりました。ラッキー✨なんて思える性格ならよかったんだけど〜楽してセラピストになっていいのか⁉️と恩師に相談。
恩師は、「お前が決めたようにしろ」と言ってくれまして〜実習中止し入院し治療に専念する。
入院中に、ある看護師さんから
「多美ちゃんに彼ができたら治るよ〜」と言われ
あまりのショックに父に話すと、父と病院まできてくれて、そのまま退院する事に…
復学までに体力をつけようと
いろんなバイトをする。
そこでたくさんの人との御縁がある
復学し長期実習(2度目)では、弱点もあるがそれが強い武器にもなる事を自覚しアピールしていった。そのおかげか、私らしい実習ができた。
セラピストの役割〜
わたしができる事〜
心と身体にアプローチするセラピストになりたいがますますつよくなったのは…
リハビリ室の中で
原因不明な方々の治療や
メンタルが問題と思われる方々の治療が
私には納得できなかった。
(全てメンタルのせいにされていた⁉️そんな風に感じていたのかも…もう25年も前だからよく覚えてないけど…)
だからか〜
導かれる様に精神科作業療法士になりました。
20代前半、婦人科疾患も見つかる
病院勤務のセラピストになってからも
週1 自分のメンテナンスの為リハビリに通ってました。そこで、「腰痛が治らない人で、婦人科が悪かった〜って事があるから 念の為受診して…」とすすめられ…
子宮内膜症 が見つかりました😂😂😂
年齢を重ねるごとに痛みは酷くなり
ひとりで生きて行くから(結婚しないし子供も産まない)から、子宮を取って欲しいとお願いした事も…
すると、
いつか必ず自分の子を抱いて〜
あの時頑張ってよかったーと笑える日がくるから
と、Dr.が優しく言ってくれて…
その時から
私のベクトルがグググ〜と変わりました❗️
私もお母さんになりたい‼️
一生ひとりで生きていくと決めたのは〜
一生痛みが取れないと言われた19歳の私。
しかし、
痛みがあっても
痛み止めを飲んでたとしても 赤ちゃんを持てるんだ‼️と知り…
好きな人と幸せになっていいんだ‼️と思いました
たくさんの出逢いの中に
パパがいました(o^^o)
パパは
普通の人とは違いました 笑
口下手で、頑固で、マイペースで…
メールではたくさん話すのに〜😊😊😊
で、
はじめて会った時から
懐かしい感じがして〜
半年した頃には結納を済ませ
婦人科疾患の治療から
不妊治療へステップアップしてました。
33歳で結婚。
不妊治療と仕事(長期実習のバイザーなどもしてましたので…)の両立が難しくなったのは〜
不妊治療の為、痛み止めを使えず痛みも限界だったから⁉️時間外での受診が続いてました。
で、タイミング法で
赤ちゃんができたんです❗️
この子を守る為なら
セラピストを捨ててもいい‼️
と、思って退職をしたんですが〜
心拍が確認できても危なかったみたいで〜
その翌週にはさよならする事になりました。
仕事も赤ちゃんもなくして〜
バイバイの手術をしたのにうまくいかなかったとかで不妊治療さえもできない数ヶ月…
辛かったなぁ…
心の支えは
熊本ローカル番組 夕方いちばん✨でした。
❤️❤️ポ多美誕生❤️❤️
数ヶ月後から不妊治療を再開できたんだけど
副作用が酷く
いつまで続くかわからない治療…
私は欲張りすぎたのか⁉️
「子供もいないのに仕事もせんで〜」と言われ落ち込み
子授け祈願のお守りを義母からもらったり、病院を変えろとか言われ プレッシャーも強くて…
アイデンティティを求める日々でした。
そんな時
自分の日記を読み返すと〜
ボロボロで辛い事の中にも必ず、最後は前を向いて歩こう✨とするもうひとりの私を見つけたんです。
だから
幼い頃のニックネームのポーちゃん✨と
多美をくっつけて ポ多美❗️と名付けまして〜
私の経験が誰かのパワーになる✨って思えて…
ポ多美☆になって…10年になりました❤️
(平成18年6月 ポ多美☆になりました😘)
念願のお母さんになる✨
ポ多美☆になってからは
おめでた日記(不妊 は 言葉がよくないと〜)にいろんなデーターも残していずれ出版しようとまとめはじめました。
いろんな病院を探し回って
素敵な女医さんに巡り会え…
4ヶ月後には妊娠してました😊
妊娠と同時にすぐ入院となり…
たくさんの方々に
あーちゃんは助けてもらったんだねッ
(9歳になったあーちゃんがとなりで編み物を、してる〜あーしあわせだなぁ❤️)
出産して1ヶ月目に
子宮内に遺物があるとわかり
私の治療が始まりまして〜
痛みが再発してしまいました😭😭😭
(6ヶ月治療したけど結局、腹腔鏡手術をしました。)
痛みと闘いながらの育児でした。
子供を産んだら幸せ✨と
思っていましたが…
私は欲張りでしょうか⁉️
娘が一歳になる頃
三角の家に引っ越しをし
パパは就農🍊
私は2人目不妊治療を…‼️
(跡取りを!と言われた事もあるし、私自身ももう1人男の子が欲しいと思っていましたから❤️)
三角の山から
1番近い病院に受診すると…
「福引のガラガラを回しても
もしかするともう当たりは入ってないかも」
年齢
前回の出産後の経過
持病
などなどから
検査をする前から
不妊治療をする覚悟を試されるような発言に
ショックを受けました。
それでも
やっぱり後悔はしたくないと
三角の山から
1時間以上かかる
娘と出逢う事ができた病院に受診しました。
すると
ドクターは
その出来事を笑って聞いてくれて…
40歳まで❗️と
自分でタイムリミットを決め
2人目不妊治療の毎日が始まりました。
パート2に続く
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
三角の山を
ひまわりいっぱいにしたいです❗️
🌻応援よろしくお願いします🌻
ひまわりいっぱい笑顔いっぱいプロジェクトで検索してください。
支援・シェアよろしくお願いします
