冬菊 | ショピンの魚に恋して ☆羽生結弦選手に感謝を込めて☆

ショピンの魚に恋して ☆羽生結弦選手に感謝を込めて☆

清冽な雪解けの水のようにほとばしる命の煌めき・・・
至高のアスリートにしてアーティスト、
羽生結弦選手を応援しています。

結弦くんはグランプリ・ファイナルで、またもやショート・プログラム「バラード第1番」の世界記録を更新した。結弦くんのショパンは・・・

1 

日本の芸能や武道で言われる「守破離(しゅはり)」

「守」稽古をして伝統の型をしっかり身につけること。

「破」身につけた型を守りつつ、さらに修行し、自らの境地を見つけること。

「離」守、破、の段階を経て、もはや何物にもとらわれない境地に至ること。

でいうところの、「離」の境地。もはや「何物にもとらわれない芸術の自由な境地」に達したものと思われる。PCSにズラリと並ぶ10点満点がこのことを物語っている。

和のプログラム「SEIMEI」とこの西洋のクラシック音楽を抱き合わせにした今シーズン。2つのプログラムは互いに良い影響を及ぼし合っている。それが、これまで今一歩のところで超えることができなかった芸術面における壁を越えさせたような印象がある。

「バラード」は西洋の音楽ではあるけれども、そのアプローチの仕方に私はむしろ、「和」を感じる。

芸術的な進化のきっかけのひとつは、結弦くん自身がこの「SEIMEI」というプログラムに自ら望んで関わったということがあると思う。

1 

曲を選び、編曲にも関わり、タイトルを選んだ。晴明神社にも足を運び、萬斎さんとの対談で得られたものを振付にも反映させるなど、自らプログラムをプロデュースしてきた。

自分が演じるプログラムへのこの思い入れこそ、彼のスケートを芸術的に進化させたものだと思う。

観阿弥や世阿弥が生きた時代、各地に申楽の諸座が存在し、それらが人気を競って競演することがあったそうだ。勝敗はまさに死活問題、座の存続に関わる一大事であった。

「風姿花伝」の中で、この申楽の競演について、世阿弥と観阿弥の間にこのような問答がある。

問「申楽の競演に出るとき、どのようなやり方をしたらよいか。」

答「自分の得意なものをたくさん持っていること。敵とは違う風体のものをやる。申楽の作者が役者と別人であると、いかに上手な役者といえども、自分の思う通りにはやれるものではない。しかし、自分が作ったものなら、セリフもしぐさも思い通りに変えることもできる。能をうまく演じる者で、作能の才も備えていたら鬼に金棒。役者であり、自作の能を持っていることが最も大事。」

これをそのままフィギュア・スケートに置き換えてみると、結弦くんが今シーズン、取り組んできたことの全容が見えてくるような気がする。

1 
冬菊のまとふはおのがひかりのみ
水原秋桜子

日々、寒さが増す中で、寂しくなった冬の庭に一輪の冬菊が咲いている。自ら発する光のみを身に纏(まと)って・・・。

その凛とした美しさこそ、君のスケート。

バルセロナの観客席には、それが君のスケートとの一期一会の出会いとなる海外の人々も大勢いることと思う。

そこにはきっと、君のスケートを一生に一度見ることができたことを、生涯、胸に抱きしめて宝物のように大切にしてくれる人々がいるだろう。

焦らず、気負わず、ひとつひとつに思いを込めて、日本の強さと美しさを世界に伝えてほしい・・・。

君を応援する世界中の人々の温かい気持ちが、きっと君を守ってくれるはずだから。




photo : gettyimages