NHK杯を振り返ると、萬斎さんとの対談が結弦くんに与えた影響や、結弦くん自身が精神的に成熟してきた証が、随所に感じられるような気がする。
ショート・プログラムとフリー・プログラムは「表現」という概念で考えると何が異なるのだろう。それは例えていうならば、俳句と短歌のようなものかもしれない。
俳句は五・七・五の17音、短歌は五・七・五・七・七の31音から成る詩である。この決まりをフィギュア・スケートに重ねてみると実に面白い。定められた文字数は、各プログラムのエレメンツに該当する。
もちろん、ショート・プログラムは俳句。フリー・プログラムは短歌。
短歌的なフリー・プログラムの方が七・七と14音長い分、ストーリー性があり、自分自身をガーっと語りたい人向き。
結弦くんが以前、フリーが得意と言っていたことがあるように思うが、「ロミジュリ」とか「オペラ座の怪人」はまさに短歌の世界。ガーっと語りたい結弦くんの得意分野だったのかもしれない。
それに引き換え、ショパンのバラードは俳句の世界。短歌にある七・七の14音が短くなった分、自分を語れない。または語り過ぎてもいけない。情熱のコントロールが必要。
また、短歌と違い、季語を用いなければならないという決まり事が増える。そんなところがクラシック音楽と通じるものがあるような気がする。
昨年、ノーミスの演技ができなかったこの曲を、実はショートではなくてフリーで滑るのが観てみたい、などと思ったこともあった。
しかし、先日のNHK杯を観て、ああ、クラシック・ピアノのバラードがショートだったから、結弦くんの表現の成長につながったのかもしれないなと改めて思った。
俳句は究極の省略の文化である。決まりきった五・七・五の17音の型の中にすべてを凝縮しなくてはならない。
シンプルなピアノだけのクラシック音楽をショート・プログラムで使用するというのは、これは大変な挑戦だっただろう、と改めて思う。
がむしゃらに語れないのだから・・・。しかし、淡々と技をこなすだけなら味気なくなって気持ちも伝わらない。
NHK杯のバラードは、ジャンプをすべて着氷したことも素晴らしかったけれど、それ以上に観ている側に伝わってくるものがあった。
一言で言い表せば「冷たく、熱いもの」がそこにはあった。薄氷の冷たい壁の向こうに、めらめらと燃える蒼い炎である。
結弦くんが少年時代にサヨナラを告げた瞬間だったかもしれない。冷たく美しいだけだったバラードに、蒼い炎が宿った。
「冷たく、熱いもの」とは、例えていうならば、このような句の世界かもしれない。
雪はげし抱かれて息のつまりしこと
橋本多佳子
冷たい雪の中に熱い想いを封じ込めた一句である。
少年から大人への階段をひと息に駆け上がったようなNHK杯・・・。どこか寂しいような、頼もしいような気がしている。
土曜の夜は長い。久しぶりにのんびりした気分になり、お酒が進んでいる。
透明な薄張りのグラスに注ぐにごり酒には、手のひらに雪景色を眺めているような愉しさと懐かしさがある。
手の中に遠き日降るやにごり酒
ショピン
走り続ける君の人生に、幸あれ・・・。
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