Less is more ... 省略の美学 | ショピンの魚に恋して ☆羽生結弦選手に感謝を込めて☆

ショピンの魚に恋して ☆羽生結弦選手に感謝を込めて☆

清冽な雪解けの水のようにほとばしる命の煌めき・・・
至高のアスリートにしてアーティスト、
羽生結弦選手を応援しています。

結弦くんは今シーズンのフリーの演目に「SEIMEI」という非常に和風なテーマを選んだ。


このことが世間に知れ渡った時、日本のファンの多くは驚愕と期待と・・・ちょっぴり不安な気持ちを抱いたのではないかと思われる。

その「ちょっぴり不安な気持ち」というのは、このような日本的なテーマが果たして海外で理解され得るのか、という不安に他ならない。

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しかし国際試合でいざ演じられてみると、不安どころか「歴史に残るプログラムになるだろう」「抑え気味に表現しているところがかえってよい」「オリジナリティに溢れている」等々、プログラムそのものは未完の状態であるにも関わらず、日本的な衣装も含めて相当な注目を集める結果となった。

「サムライ」「ゲイシャ」「フジサン」以外にも、日本にはこんな雅な文化があるのかと、海外のファンの関心が高まっているのはまさに結弦くんの思惑通りである。

日本人の私たちでさえ、改めて日本の伝統芸能の素晴らしさに心惹かれるきっかけとなっている。


このブログで度々取り上げてきたカナダの熱烈ゆづファンの
Sportymagsさんも、今年の8月の野村萬斎さんと結弦くんの対談には大いに関心を寄せていた。

海外に大勢の読者を抱える
Sportymagsさんの理解が深まれば、彼女のブログを通し、世界に向けてこのプログラムのテーマを伝えることが可能となるかもしれない、そう思ってかなりの資料を収集しては彼女にせっせと送り続けてきた。

萬斎さんの言う日本の「省略の文化」を英語で正確に伝えるのは厄介で、「これはひょっとして理解してもらえないのでは?」と思っていたところ、
Sportymagsさんからあっさりと、「よく理解できた」との返事をいただいた。

私があれこれ英語の長文で説明したことを、彼女は「それは”
Less is more.” と同じ意味に違いない。私たちも”Less is more.”という言葉を通して、日本の“省略の文化”を理解することが可能だ。」というのである。

そして今度は私が彼女の言う「
Less is more.」とは何ぞや、ということになった。

Less is more.」を前記事で「余計なものがない方がいい」としてみたが、もう少し真っすぐな言い方に変えると「より少ないことは、より豊かである」となる(Wikipediaより)。

「シンプルさ」がかえって「より多くのことを語る複雑さ」を持つという逆説の美学。

この言葉はもともと、
20世紀のモダニズム建築を代表するドイツの建築家、ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエの言葉だそうだ。

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彼は日本庭園の枯山水について説明を受け、非常に感銘を受けたとか。日本の「省略の美学」と自分の提唱する「
Less is more.」に大いなる共通点を見出したのではないだろうか。

彼のデザインした建築物をいくつか写真で見てみたが、直線のラインがすっきりとした美しさが際立っている。

野村萬斎さんと結弦くんの対談(NHK版)の中で、「音楽をどう体で表現するか」というテーマについて、萬斎さんは、「西洋は音をすべて体現しようとするので、リズムをすべて刻んで振りが多くなる。日本の狂言は省略の文化。リズムに支配されるのではなく、その人がリズムを支配する。」と語られていた。

Sportymagsさんは、これが顕著に体現されているのがSEIMEIのステップ・シークエンスだと感じているそうだ。確かにオータム・クラシックではレベルが取れていないにも関わらず、GOEの方はずらりと並ぶ+3評価。

海外のジャッジもあの太鼓の音に呼応したシンプルな、しかしオリジナリティーあふれるステップに、激しく心を揺り動かされたに違いない。

Sportymagsさんも「息を呑むほど素晴らしい。鳥肌が立った。基本的な動きがそれほどたくさんのインパクトを持つという”Less is more”の完璧な例」と評しているパートである。


ベルが取れないのは問題だが、変えてはもらいたくないステップ、なのだそうだ。私も激しく同意している。

萬斎さんの言う「省略の文化」。日本の伝統芸能や文化にあれこれ思いを巡らせてみると、形は異なってもそれが日本の美意識のある意味、「型」となっていることに気が付く。

「加える」ことではなく、あえて「引く」ことで美しさをより際立たせる究極の引き算の美学である。

たとえば、浮世絵師は敢えて、仕上げの最後の「一色」を抜いたとか・・・。そうすることで、かえって作品を際立たせる未完の美・・・。

浮世絵


俳句や短歌も然り。あらゆる説明を省き、決められた字数の中に本質だけを閉じ込める究極の文学。

華道では不要な茎、葉や花、つぼみをどんどん切り落としていく。そぎ落とされて、かえって空間に浮かび上る花の命は美しく印象的だ。

華道


枯山水は庭に水を使わない。石と砂だけで山水の命を表現した省略の美。観る者は無心となって心の静寂を得る。

龍安寺


勝手な想像かもしれないが、フィギュア・スケートという西洋のスポーツに、日本の美学を取り入れようとしている結弦くんを、彼がたとえどれほど若い青年であったとしても、私は一人のアスリート、アーティストとして尊敬せずにはいられない。

SEIMEI
は私も大好きなプログラムである。

足で八の字を描くようなクロスロールは、江戸時代の花魁(おいらん)道中で見られた「外八文字(そとはちもんじ)」とか「内八文字(うちはちもんじ)」とか言われる30センチを超える高下駄を履いた花魁の足の運びを彷彿とさせる。

江戸の人々の目を釘付けにしたように、現代の観客もまた彼のステップに目を奪われる。

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スローパートに切り替わる部分で天に向かって振り上げられる腕。まるで重力を感じさせず、天女が羽衣を空に投げかけているかのように見える。

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歌舞伎には「見得(みえ)」と呼ばれる演技の手法、決めポーズがある。市川團十郎家が信仰した不動明王の姿を模したという説もあるそうだ。

物語の重要な場面や、登場人物の感情が高まった時などに、一瞬動作を止めて観客の注視を集める。力強さを強調するために足の親指を立てたり、目を寄せたりする。

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「パリの散歩道」で見せた足を「へ」の字にするポーズは、
SEIMEIで日本的にアレンジされ、まさに結弦くんが演技の中で「見得を切る」瞬間である。

その残像は一度見たら観客の脳裏から離れることがない不動明王の姿・・・。

もう少し時間がかかるかもしれない。しかし、世界が結弦くんのSEIMEIの完成を待ち望んでいる。

スケート・カナダでは怒れる不動明王の姿を露わにしてしまった・・・。

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激しく燃え盛る情熱の炎を完全にコントロールし、内に秘めることができた時、
氷上に体現される「ジャパニーズ・エレガンス」。

世界が君にひれ伏す日は近い・・・。







photo : newscom
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BE%8D%E5%AE%89%E5%AF%BA
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%AE%E4%B8%96%E7%B5%B5
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%AF%E9%81%93