世界遺産写真家富井義夫さんのブログ「フロム」より
「爆破されたパルミラ遺跡/シリア~悲しみの世界遺産」
http://hama-sush-jp.pro/tomiiyoshio/entry-12083745809.html
(富井さん、お写真お借りしています。いつもありがとうございます。)
長い人生の中で、時々、自分と考え方の違う人と出会う・・・。避けられないことかもしれない。面と向かって「あなたの言葉に傷つきました!」などと、言えたらどんなに楽だろう・・・。
子供同士のいじめや、大人になっても人付き合いが苦手な人は・・・多分、この種の人かもしれない。・・・おそらくはため込んで、ため込んで、最後に爆発してしまう。
顔で笑って心で泣いている人の涙に気が付く人もいれば、顔も泣かないと気が付かない人もいる。あるいはそれすら通じないこともある。
それは多分、価値観の相違、生き方の相違。どちらが悪いとか、正しいとかではなく、生きている世界が異なるとしかいいようがない。
古今東西、人類の抱える問題は普遍であるかのように、各宗教のいうGolden Rule(黄金律)も結局は同じことを言っている。
イエス・キリスト
「人にしてもらいたいと思うことを、あなたがたも人にしなさい」
孔子
「己の欲せざるところ、他に施すことなかれ」
ユダヤ教
「あなたにとって好ましくないことをあなたの隣人に対してするな。」
ヒンドゥー教
「人が他人からしてもらいたくないと思ういかなることも他人にしてはいけない」
イスラム教
「自分が人から危害を受けたくなければ、誰にも危害を加えないことである。」
“you need to forgive and forget.”「許して、忘れなさい。」傷ついた子供に、大人たちはそう言い聞かせるかもしれない。これはGolden Rule(黄金律)である。
しかし、現実問題として、心の傷は深ければ深いほど、許すことも忘れることも難しい。許すことを拒み続ければ、心の中で「怒り」を育てることになる。怒りは心を蝕み、睡眠を奪い、やがて健康をも損ねるほど増大してしまうかもしれない。
しかし、許すことが難しくても、それがもし、人の為ではなく、自分の為の行為だと考えたらどうだろう・・・。法律ではなく心の問題として・・・。
こんな言葉がある・・・。
許しなさい。でも、忘れてはいけない。
さもなければ、あなたは再び傷つくことになるだろう。
許すことで、見方が変わるだろう。
しかし、忘れてしまえば、学んだことまでなくしてしまう。
パウロ・コエーリョ

パウロ・コエーリョはブラジルの作家である。「アルケミスト―夢を旅した少年」あたりが日本では読まれている本かもしれない(すみません・・・私にはあまり面白くなかったですが・・・。)。
許すことは自分のため。しかし、再び同じことで傷つくことを避けるために、忘れない。人の為に許し、忘れることが難しくても・・・自分の為に許し、忘れないことは、あるいはできることかもしれない。
そしてできれば、怒りはため込まない方がよい。その都度伝えることは勇気がいるが、世の中のすべての人が、笑顔の裏側に気づいてくれるとは限らない。「こんなことを言ってごめんなさいね、でも、」・・・その一言に傷つきました、と伝えてみる・・・。
価値観が近ければ、二度と同じ傷と受けることはないだろうし、そうでなければ距離を置かねばならない。怒りの感情に蝕まれる前に、そして、一歩前進するために、人は「許して、忘れない」を繰り返し、生きていかねばならないのかもしれない。
結弦くんも・・・時には激しい怒りを感じることはないのだろうか。マスコミに持ち上げられたり、突き落されたり、誤解を受けたこともあるだろう。追いかけられて集中力を削がれることもあるだろう。
しかし、彼が激しい怒りを目にたたえるのは、いつも試合における自分に対してだけである。人気者であるが故に、誰よりも大きなハンデを抱え、だがしかし、他人に対する怒りを露わにすることがない。彼が怒りをぶつけるのはいつも自分に対してだけである。
それがどれほど難しい事か・・・。私には想像がつかない。
photo : http://www.newscom.com/nc/showMainNCPage.action

