風姿花伝 ~氷に咲く花~ | ショピンの魚に恋して ☆羽生結弦選手に感謝を込めて☆

ショピンの魚に恋して ☆羽生結弦選手に感謝を込めて☆

清冽な雪解けの水のようにほとばしる命の煌めき・・・
至高のアスリートにしてアーティスト、
羽生結弦選手を応援しています。

羽生結弦というスケーターに、私は常に「氷に咲く花」のイメージを抱いている。「花になれ」「花は咲く」など、花にまつわるプログラムを演じてきたのも、やはり「花」に縁がある人なのだと思う。

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先月、能舞台で行われた狂言師、野村萬斎さんとの対談は面白かった。能舞台に立つお二人は、さながら観阿弥、世阿弥の親子のように思われた。

幼い頃から稽古に明け暮れ、技を磨き、様々なプレッシャーと戦いながら今日に至るお二人には共通項が多い。

残念ながら放送されなかった部分でも、相当密度の濃い心の交流があったであろうことは想像に難くない。

フィギュア・スケートという、はっきり言って、日本の伝統とはかけ離れたスポーツの中に、今、結弦くんが見出そうとしている日本人の魂・・・。

SEIMEIというプログラムを選択したからこそ目の前に広がった新たな世界。果てしない挑戦の舞台である。

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今から600年ほど前、室町時代に生きた世阿弥という天才能楽師が残した日本最古の演劇論「風姿花伝」。ここにも「花」という言葉が使われている。

「花」は世阿弥が大切にした言葉である。四季折々に咲く花々は移り変わるからこそ人の目を驚かせ、引き付ける。同じところにとどまっていては人に花を与えることはできない。

左手に観客の目を引き付けながら右手に跳んでみせる。三番叟の三連続ジャンプにつける跳び方の変化。

世阿弥が「風姿花伝」で言う「珍しきが花」。観客を引き付ける奥義・・・。

世阿弥の時代も、たびたびいくつかの一座が集まって勝敗を競う立ち合いが行われたという。

勝負に明け暮れた世阿弥が編み出した必勝法「秘すれば花」。立ち合いには観客を驚かせる秘密兵器を持つ。持っていることすら悟られてはならない。

しかし一度見せればそれは「秘すれば花」ではなくなってしまう。また次の新しい花を用意しなくてはならない。常に新しい花を用意せねばならない・・・。

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結弦くんはまた弱さをさらけ出せる強さを持っている。最近、公の場で「プレッシャー」や「緊張」について、口にすることが多いのは、やはり人一倍そうした心境と格闘しているからだろう。

各界の様々な人々との出会いの中で、自らそれを口にすることで、きっと何かヒントを求めているに違いない。

萬斎さんのアドバイスには私も心が震えるほど興奮してしまった。

「映画の晴明の外形をなぞるのではなく、天・地・人を司っているのだ、という意識を込めれば、それが集中の一つの契機になる。」萬斎さん流プレッシャーの乗り越え方。

結弦くんの人気はますます過熱し、そうした中で演技に集中するのはなかなか難しいことと思う。

世阿弥も時には酒に酔った人々の宴会のような場所で演じることもあったという。

場の空気を読んで相手に合わせて演じることを説いた「かるがると機を持ちて」こうしたことができるためには、役者にとって重要な心構えがあるという。

それは自分自身の姿が見えていること。「目前心後」目は前を見ているが、心は自分の後方にあって自分を客観的に見ている。

「離見の見」観客席から見た自分の姿を意識することにより本当の自分の姿を見極める。

萬斎さんの言う「人だけではなくて、全体の空気を感じ取る。場を支配するためには場を味方につける。自分の意識を会場全体に持っていく。その場、その時間、その空気をまとう。」とは日本の伝統芸能の奥義なのかもしれない。

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世阿弥は幼少の頃、美しく利発な少年だったそうだ。将軍や貴族は世阿弥の愛らしさに心を奪われたという。

やがて大人になって、世阿弥は能楽師としての壁と向き合うことになる。

子供のころの魅力は「時分の花」に過ぎない。一瞬の輝きである。能を演じる役者は「まことの花」を目指さなければならない。「まことの花」を手にするためには精進を続けるしかない。

結弦くんが今、氷で咲かせようとしている「まことの花」。かつての自分のように、4回転をビシバシ跳んでくる後輩たちに、時には急き立てられるような気分を味わうこともあるかもしれない。

しかし、萬斎さんとの対談はきっと結弦くんに様々なヒントを与えてくれたのではないかと思う。

揺るぎない型(基礎)を身に着けてこそ広がる自由感である。若さだけでは決して獲得できない芸術的な自由感。

ジャンプをただ跳ぶだけではないものにしたい。プログラムの中で意味を持たせ、美しく跳びたい。

スピンもステップもすべての要素を音楽と合わせ、意味を持たせたい。結弦くんの壮大な夢・・・。

その実現に必要なのは「初心忘るべからず」。萬斎さんの言う「基礎として代々受け継いできたものができないとスタートラインに立てない。それが非常に大きなもの。誤作動しないように型にはめ込んで、それがいつでもオートマチックにできるようにする。というのが、一つの型の在り方。」

そういえば、「あさイチ」でもサラさんの歌声を評して「彼女にはしっかりした基礎があるから、僕らも合わせやすい」と結弦くんは言っていた。

結弦くんが頼もしく見えるのは、あらゆることができるようになった今、また「基礎、基本」という言葉を繰り返し使い、初心の大切さを肝に銘じようとしているところかもしれない。

しかし、今の結弦君の言う基礎は若い頃の基礎とは異なる。それはオリンピック・チャンピオンとなってなお、精進を続ける結弦くんだからこそ目指すことのできる「却来(きゃくらい)」の思想。

奥義を悟った能楽師だけが掴むことのできる自由感。基礎をただこなすのではない。幽玄にこなすのだ。そして、楽しむ。

白鳥 

「白鳥花を含む、これ幽玄の風姿か」幽玄とは、白鳥がくちばしに花を含んで立っている姿であると世阿弥は言っている。

花と白鳥は、氷に舞う結弦くんの姿に他ならない。氷の上に幽玄の舞台の幕が上がるのは、もう間もなくである。