ネットでなんなしに腕時計を見ていた。


ステキな時計がたくさんあって


その中のひとつ、文字盤に朝になると太陽、夜になると月の絵が出てくる時計に目が止まった。


「見たことあるなぁ」


わたしが中学に上がる時、


母方のおじいちゃんがプレゼントしてくれた腕時計にもその絵があったことを思い出した。


数年前に亡くなったおじいちゃん。


母が小さいころは、ほぼずっと出稼ぎでお正月くらいしか家に帰ってこられなかったのだって。


母が結婚して、わたしたちが産まれてからも、その生活は続いていて、


わたしたち孫はおじいちゃんにはほとんど会ったことがなかった。


それでも年に一度など会う機会があるときには必ずプレゼントを用意してくれていた。


プレゼントは決まって本だった。


児童文学の本。


小さかったわたしは「ありがとう」と他人行儀に伝え、読むこともなかった。


活字が苦手だった。笑


出稼ぎ先では肉体労働をしていたおじいちゃん。


体が大きくて、手がごつごつしてた。


母が「〇〇城の生垣の岩を積んだんだよ」と一度教えてくれたことがあった。






時は流れて、大人になったわたし。


わたしがいつまで経っても結婚しないことに対する不安は、いつからか怒り変わってしまうほどだった。


脳梗塞で倒れ、


一度は退院したものの、その後も以前のように回復することはなく、2度目に倒れたときが最後の入院となった。



入院先の病院がわたしの職場から近いこともあり、仕事帰りに何度かお見舞いに行った。


暇つぶしになるかと雑誌を買っていったり、「電池買ってきて」と軽いおつかいを頼まれることもあった。


いつもしつこく「付き合ってるひとはいるのか」と結婚について聞いてきていた。


軽い気持ちで「いるよー」と聞き流していたが、無理にお見合いをすすめてきたことを以前断ったことがあってからは、強い口調になることが多かった。


あるときもお見舞いに行った際、同じ質問に「いるってば」と投げやりに答えた。(その時本当に恋人がいたかは覚えていない)。


すると、急に声を荒げて「本当にいるんだな?!結婚できなかったら一生終わりなんだぞ!」と怒りだしたのだ。


それ以来、わたしがおじいちゃんに会いにいくことはなかった。


それから数ヶ月、「そろそろだ」と母の弟から連絡があり、家族でおじいちゃんの病室に行った。


もう言葉は話せない状態となっていた。


目は見えている様子だが、実際はわからない。


わたしが視界に入ってはまた不安な思いにさせるのでは、と思っていて隠れていた。


何より、病室中に漂う「もうそろそろだよ」という匂いに、そこにいることさえ苦しかった。





おじいちゃんとはそれが最後。


おじいちゃんのお葬式には、3人の子供(わたしの母とその兄弟たち)、それぞれの子供たち(わたしたち孫)、さらにひ孫までが集まった。


きっとおじいちゃんにとって「家族」が最大の幸せだった。それを持たないわたし(結婚しない)が不憫に思えて仕方なかったのだろう。




そんなことを思い出した腕時計の記憶。


おじいちゃん、大丈夫だよ。

結婚しなくても幸せになれるし、

結婚なんていつだってできるよ。笑


そう笑っていたい。