踊りの話を書いているようで、

   本当は、女の話を書いている。


    普段、モダンをあまり踊らない私。その日はたまたま、偶然手を取った方のリードに、少し驚いた。

      技術がどうとか、キャリアがどうとか、

正直、その時はどうでもよかった。

       ただ、その人の踊りには

   「急がなくていいですよ」

     と言われているような静けさがあった。

        こちらが慌てなくていい。

     頑張って合わせにいかなくていい。

     無理にうまく見せなくていい。

     それだけで、人は思った以上にほどけるのだと知った。

    私はたぶん今まで、社交ダンスの魅力を「上達」や「華やかさ」の中にばかり探していた。

     でも、本当に心に残るものは、もっと地味で、もっと根っこのほうにあるのかもしれない。

    たとえば、自分の軸が少し揺れた瞬間、何も言わずに支えてくれる手。遅れても、重くても、露骨に困った顔をされないこと。その小さな安心が、どれほど人を黙らせるか。その時、気づいてしまった。

    私はずっと、ダンスフロアの上でも、ちゃんとしていようとしていたのだと思う。        

     きれいに。

      上手に。

       迷惑をかけずに。

      なるべく、手のかからないパートナーでいようと。

 でもその昼下がり、ほんの一曲だけ、そういうものを下ろせた気がした。

 強がらなくていい自分。

 先回りしなくていい自分。

 ひとりで全部背負わなくていい自分。

 たぶん、私が酔ったのはその人じゃない。

 その人の前でだけ現れた、少し軽くなった自分だったのだと思う。

 だから、ときどき。

 人は踊りより先に、その空気に酔う昼下がりがある。

 誰かに恋をしたわけじゃない。

 ただ——

 その人に酔ったんじゃない。

 その人の前でだけ、女に戻れた自分に酔ったのだ。