このシンビジウムは、去年の年末、新年を迎えるために買ったものだ。
我が家に来て、もう三か月ほどになる。
毎年、年の瀬になると一鉢買ってきて、ダイニングのサイドボードに飾る。
西暦の新年を迎え、そして今年は二〇二六年の中国の春節も、この花と一緒に過ごした。
ふだんは、私がよく手に取る数冊の本と並んで、静かにそこにいる。
天気のいい朝には、鉢をそっと持ち上げて、リビングの窓辺に運び、少し日向に置いてやる。天井まである大きな窓から、朝の光が斜めに差し込む。長く伸びた葉はすっと上を向き、細く、凛として、光の中で透きとおるような緑をしている。
葉の間から、淡い桃色の花がのぞいている。ひと房、またひと房と連なって、まるで誰かが春を一輪ずつ枝に掛けていったようだ。
近づくと、ほんのりと蘭の香りがする。
それはとてもやわらかな香りで、朝の光が少し温まってくるころ、静かに空気に浮かび上がる。陽が花に当たると、鉢ごと長い影がカーペットの上に落ちる。
影の中にも、もう一つの花の束が揺れている。
朝の家は静かだ。
窓の外を、犬を連れた近所の人が時おり通り過ぎる。家中が、この一鉢の花と一緒に、ゆっくり目を覚ましていくように感じられる。
こうして花を眺めていると、ふと、ずっと昔のことを思い出す。
二十三歳のとき、私は湖南の南岳衡山へ祈願に出かけた。あの頃は、両親も弟もまだ健在で、家族がそろっていた。
縁あって山の上の「上封寺」に泊まり、僧たちと一緒に質素な精進料理をいただいた。
食事のあと、年配の師匠が私を見て、ふっと笑いながらこう言った。
「姑娘,你将来一定旺夫旺子旺草旺木。」
(中国語で、夫も子も、草も木も、
みんなよく育つ人、という意味らしい。)
そう言って、占いの代金も受け取らなかった。
その言葉どおりだったのかどうかは分からないが、その後、日本で学び、恋をし、結婚し、子どもを育て、三十年以上、家族は大きな波もなく暮らしてきた。
夫はよく働き、三人の子どもたちも、それぞれに自分の道を歩いている。いつ努力すればいいのか、いつ踏ん張ればいいのか、ちゃんと分かっている子たちだ。
私が火を足してやらなくても、もう十分に前へ進んでいる。
命の中で「家を旺す人」だとすれば、むしろ私のほうが、家族に旺してもらってきたのかもしれない。
そうして気がつけば、体も心も、すっかりおおらかになった。
ただ、「草も木もよく育つ」という言葉だけは、なぜか心のどこかに残っていた。
それ以来、私はどこかで、草花のそばにいることが多い。
ずいぶん昔、埼玉の蕨市にある公団住宅に住んでいたころ、玄関先やベランダに、小さな花や鉢植えをいくつも並べていた。
蕨では、子どもが生まれると、市役所から記念の苗木を一本もらえる。
娘が生まれたのは八月だった。
小さな体で、頬がほんのり桃色をしていた。
中国では白い花をあまり好まないので、私は山茶花の苗を選んだ。そのとき選べる木は多くなかったが、山茶花だけが、咲く花の色――赤――とはっきり書かれていたからだ。
その山茶花は、蕨の団地で人の背丈ほどに育ち、のちに横浜・高田の家の小さな庭へと移された。
春のはじめになると、枝先に赤い花が一つずつ開いていく。花びらは厚く、小さな赤い器のようだった。
夜のあいだに風が吹くと、朝、石段の上に、いくつかの花が静かに落ちている。
そんなふうにして、私の暮らしにはいつも花があった。
庭に咲く花もあれば、ベランダの鉢もある。
そして今は、この窓辺のシンビジウムのように、家の中で静かに咲く花もある。
一年、また一年と過ぎていく。
花は、季節ごとに咲いては去っていく。
ある日ふと、あの言葉を思い出す。
「旺夫旺子旺草旺木」
なるほど、と思う。
もしかするとそれは、どこへ行っても、春がこの家に立ち寄ってくれる、ということだったのかもしれない。
人が一日一日を丁寧に過ごしていれば、草木もまた、その人を覚えてくれる。
花を旺してきたのは私ではない。
花たちが寄り添って、この人生を、枝も葉もあるものにしてくれた。
春は、ここにいる 🌸
