航先生のグループレッスンで、私はひとつの確信に辿り着いた。

「力を抜くこと」は、技術ではなく、成熟のかたちなのだということに。


    急がない身体は、遠くまで行ける。

    静かな動きは、深い場所に届く。

     踊りにおいても、人生においても、

     ときに「遅さ」は、もっとも誠実な速さになる。


     先生の動きには、常に全身の対話がある。

    骨盤とアキレス腱、肩と床。

    見えない部分同士が、確かな圧と呼吸でつながっていて、

    そこには孤立した動作がひとつも存在しない。


    レッスンの中で、先生は繰り返し語る。

「内側の核が安定していることが、人のいちばんの力だ」と。

    それは踊りのための言葉であると同時に、生き方そのものへの静かな示唆でもある。


    これほど本質的なことを、これほど簡潔に差し出せる人は、そう多くない。

    その点において、航先生は、

    私が東京で出会った中で、最も信頼できる指導者だと感じている。


    短いコンビネーションの中にも、

    必ず移動の線と、留まるための点が用意されている。

    練習用の小さな振付であっても、

    そこにはすでに「踊る」という意思が宿っている。

    身体を鍛えるだけでなく、舞台へ向かう感覚を、自然に思い出させてくれる構成だ。


    もちろん、好みは人それぞれだろう。

     それでも、この文章を読んでくれた舞友には、一度でいいから、同じ空間で踊ってみてほしいと思う。


   「好き」は、説明されて生まれるものではない。

    身体が何度も動き、息が整い、

 ある瞬間、ふと腑に落ちたときにだけ、静かに芽を出す。


 ダンスを深く愛する人なら、きっと知っている。

 その愛は、見返りを求めるものではなく、最初に誰かを愛したときの感覚に、どこかよく似ている。


 胸の奥で鳴る鼓動が、やがて答えになる。

 ひとつの動きが、初めて自分のものになった瞬間、人は理由もなく、ただ微笑んでしまう。


 踊っていて苦しいと感じる日があるなら、それは踊りが間違っているのではない。

 ダンスは正直で、その日の心の重さを、正確に映し出してしまうだけだ。


 文章が人を映すように、踊りもまた人を映す。

 一度動き出した身体は、内側を隠すことができない。

 どんなに短いフレーズであっても、

 私たちはいつも、実はその瞬間に欠けている自分自身を踊っている。


 だからこそ、踊り続ける。

 失われた部分に、再び触れるために。


 



  初めてのレッスンにしては

    まずまずの完成度に

 みんなで自分へ大きな拍手喝采👏



 優しい航先生の優しいレッスン

  その声も笑顔も

 みんなから「優しい〜」



  一番苦戦しているところ

何回も何回も繰り返して教えてくれた

 一人ずつ少しずつ直していくので

 新人の方も少しずつ習得できた