東京には、十八年間ずっと朝鮮舞を教え続けている中国朝鮮族の舞踊家、安燕(アン・イェン)先生がいる。
   最初は、親しい友人二、三人から始まり、今では数百人が集う大きな輪に育った。
   十八年という歳月の中で、先生はひとつの舞を、この街にそっと根づかせ、枝を伸ばし、花を咲かせてきたのだと思います。
   私は、その輪の中にいる数少ない漢族の愛好者で、朝鮮舞は私の血に流れる文化ではないけれど、集い、心を向ける理由。
 三年間、私は呼吸を静かに開くこと、「鶴歩」を軽やかに踏むこと、「柳手」をやわらかく、おだやかに使うことを学んできた。
 練習を重ねるほど気づかされる。
 風のように軽やかに見える動きほど、海のように深い技と感覚を必要とすることを。朝鮮舞の難しさは、型そのものではなく、心と身体がひとつの呼吸で響き合う、その微細なところにあるのだと。
 だからこそ、私は朝鮮舞を守り続けてきた人たちへ、深い敬意を抱かずにはいられない。
 “軽やかに見える舞”を十八年も、変わらぬ心で守り伝えるということ。
 それは静かな信念そのもの!

 私たちはよく「朝鮮舞」と言う。
 その中には、実は四つの流れが寄り添っている。

   ● 北朝鮮の舞風:
 背筋が真っ直ぐで、線が澄んでいる。
 ひと回りすれば風が止まるほど、重心は揺らがない。
 強さの中に、静けさがある。

   ● 中国朝鮮族の舞風:
 円く、柔らかく、控えめな明るさを帯びている。
 肩は水の波紋のように揺れ、手首は花弁のように開く。
 まなざしの上下に墨のような余韻があり、温かさが宿る。

    ● 韓国伝統舞の風:
 大きな開き、長い呼吸、流れる身のこなし。
 身体が風に支えられ、
 足運びは空気のリズムを踏んでいるよう。
 現代舞踊の経験が生み出す自由な伸びやかさがある。

   ● 在日コリアンの舞風:
 控えめで、やわらかく、とても生活に近い。
 大きく見せる表現ではなく、
 「日々を生きる所作」がそのまま舞になるような深さ。
 小さな動きに、静かな忍耐と優しさが宿る。

  11月29日、王子で行われた
「日本中国朝鮮族芸術協会」周年記念公演の舞台には、この四つの風がひとつに溶け合っていた。どれも主張しすぎず、四季のように、それぞれの美しさを放っていた。

 日本に暮らす華人は、多文化が混ざり合い、さまざまな場面で慎重さを求められる日常の中にいる。
 言えないことも、胸にしまっておく感情も、少しずつ増えている。けれど、踊っている三時間だけは、折り畳んだ気持ちを、舞がそっと広げてくれる気がする。
 漢族の舞者たちが真心を込めて踊る
 《金達莱(チンダレ)咲く故郷》は、とても静かで、生活者らしい祈りにも似ている。
 「みんなが穏やかに暮らせますように」
 そんな想いが、声にしなくても伝わる。
 大きく叫ぶ必要はない。春の芽吹きのように、
音もなく、しかし確かに育っていく願いがあるのだ。
   どこから来たかを語らなくても、舞台の上では、
心が同じ方向へ自然と寄っていく。
 安燕先生が十八年続けてきたものは、ご自身の血に刻まれた舞だけではない。文化も、記憶も、故郷も違う私たちが、ひとつのリズムでそっと近づける場所を、育て続けてきたのだ。
 東京でキムチを作っている人も、飲食店で働く人も、ITの現場にいる人も、家と職場を行き来するだけの毎日を生きる人も——踊るときはみんな、

 音楽に温められる人、
 舞の余韻に導かれる人、
 美しさに心を灯される人。

 安燕先生が愛する朝鮮舞を三十八年でも続けていこうとする姿、中国延辺からはるばる来てくださった崔美善(チェ・ミソン)先生が二、三百人の観客と舞いを分かち合う姿——そのどれもが、踊りたいという小さな想いを優しく受け止めてくれる光💡

 心からの感謝を込めて。
 そして、これからも舞の道が静かに続きますように。