震災と津波災害、そして。(テキスト) | うっかり妻の絵日記でござる☆

震災と津波災害、そして。(テキスト)

3月11日から、一ヶ月が経ちました。

この度の、未曽有の災害での犠牲者の方々の冥福を祈り、そして未だに困窮を極める多くの被災地の方々に深くお見舞い申し上げます。

どんなに考えても、通り一遍な文章すら書けないことを申し訳なく思いながら、久々に日記を更新します。


一ヶ月という時間が、全くもって区切りにすらならず、困難を極めている現地の惨状を愁いながらも、自分への戒めのためにも思う。
この一ヶ月。

私の住んでいる地区は、地震の直後に8時間ほど停電したのみ、大きな影響のない場所でした。

そのあとの物不足に関しても、正直、10日もすれば流通もそこそこ整いました。

(その数日間の間も耐える事ができない人がこれだけ多いのかという現実だけは目の当たりにしましたが……)


放射能に対してだけは、人よりもかなり重篤と受け止める性格であったため、初期の情報収集の段階だけで周囲の楽観論と最悪の想定の温度差に、精神的にまいってしまった時期はありましたが、現状はかなり開き直って生活しています。

ダンナさんの実家に子どもらだけでも向かわせるべきなのかは、ギリギリ悩んだりもしました。

現状での選択を、数十年後に後悔しないかと問い詰めたら、分からないのも現状です。

安全圏とは言い切れない場所で生活するというリスク、回避しきれないものとどういう基準で共存すべきなのかというものを模索しつつ、生活しています。

正直、前の生活とほとんど変わってない。

そこに覚悟があるかないかの違いだけです。

立場がそれぞれで違い、持っている知識や感覚も違う。
自分がどうしたらいいのか、どうすべきなのかを揺れ動かされたのが、今回の震災と津波、そして原発事故であった。

この未曽有の災厄に、何も考えないでいられる人は少ないであろう。
そのことだけでも、この先に生きるためには救いになってほしい。
何も考えずに生きることはとても気楽でいいだろう。
けれど、痛みや困難を越えた先にある真実は重要だと思う。

ただ、距離感もあるから、多くの被災地以外の人にとっては感覚の相違も出てくる。
考えすぎて精神的にまいってしまったり、自分の立場を恐縮してしまったり、そういうことはなるべく避けられたらとは思う。


この一ヶ月、某SNSやツイッターを中心に、思うことを記しては非公開でメモをしたり、時に書いてから消したりもして過ごしていました。

誰かに訴えるというよりは、自分の精神の安定のため書かないではいられない。

けれど、それを目にした人が少なからず不安を煽られる内容であったり、影響をされるものでもあったという自覚はあるので、あまり多く外に出すことはためらわれました。


けれど、心に深く深く刻み込まれたものを考えないで、ただ日常を送れるほどの強さもありませんでした。

この時期に、少しでも癒されるように日々の絵日記を綴られるブロガーさんたちには、並々ならぬ気持ちがあったことでしょう。

安易に不安を出すことをよしとしない日本人の気質が、少なからず現状をしっかりと支えているのだと思っています。

誰もが感じている恐怖だからこそ、その中でもきちんと見据えて日常を生きるしかない。

小さな子どもですらも、「できることがないか」「どうしたらいいのか」ささやかにでも確実に気持ちが変わっている。


そんな中でも、ネット上では、いい加減でしょーもない人らの意見とか、書き込みとかも出てきていることもあってため息も出るけれど、それでも現実には多くの真剣に捉えている人らが動いている。
被災地であるからか、被災地であってもなのか、犯罪や差別が出てしまうように、逆に被災地でなくても痛みを分かち合おう、支え合おうとする圧倒的多数の善意がそこにあるから。

ただ、闇雲に大騒ぎしているだけの人が目に付くことも多いけれど、声にならぬ、ニュースにもあがらぬ、無言の尊い力がそこにある現実を大事にしたいと思います。


区切りなんかつけるべきじゃないかもしれないけれど、ちょっと忘れっぽい人のためにも、せめてこの日だけはまだ、何かをしようと思い直す日でいさせてほしい。

未だ見つからぬ多くの安否不明者がいて、食べるものだけでなく、生きることが難しい場所にいる人がいる。
少しでも早く、ひとりでも多く、苦難を越えていけますように。
先の険しさを思うとしんどいはずなのに、岩手の人の言葉が響く「もっといい町にしてやる!」


人は、未来と希望で生きている。

せめてこの日だけは、募金をしていこうと思う。
安易に、多くを訴えることはできないけれど、心でいつも復興を祈っています。



2011年4月11日

空野はずみ