本題に戻ります。
珈琲とか紅茶とか、なんでも好きなものを淹れて続きをどうぞ。
小さい時から、理不尽だなと思う(そういう言葉は知らなかったけど)ことがあったとき、どういうわけか、そこから脱出する方法を知っていた。
だから、深く悩むことも泣くことも、そんなになかった。
(ほんとはあったのだろうけど、痛みは忘れる方)
これ以上ないと思うくらいの屈辱を味わった時も(今思うとたいしたことない)
どうやって気持ちと考えを切り替えるか、それだけを考えた。
なぜ、そんなことが出来たのか分からないので天性のものなのかも。
だから、誰にでも出来ないことは分かっている。
でも。
つまずいたとき。
そこに留まっていい。
留まって、360度の風景を見てみよう。
留まって地面だけ見ているのは一番ダメなこと。
道しるべとなる標識が、たぶん3っツくらいは見えると思う。
どこへ行くか。
答えが出るまで、そこに留まっていいと思う。
でも、いつも360度の風景を見ていることが条件だけど。
(焦って選んではダメ。結局、また戻って来るから)
そうしているうちに、答えは向こうからやってくる。
誰かの何気ない言葉だったり、誰かとの出会いだったり、本の中だったり、誰かがテレビで言っていたり。
私は、仕事をしているときは、電車の吊ビラのなかに答えを見つけることも多かったよ。
あ、な~んだ。
そうか、それでいいのねと思えた。
ある日、少し暖かくなった朝の通勤路に、そこだけ光を浴びたように見えた草の花があった。
その瞬間に霧が晴れたこともある。
答えが返ってくるのには条件がある。
360度の風景を見ていること、
答えは形でやってこないから、アンテナを張って受信可能な自分でいることが条件。
教えてくれるほうは、何かに乗じてメッセージを送って来るからね。
受け逃さないように、アンテナ、アンテナ![]()
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試験に合格しなくても、就職がうまくいかなくても、それが終わりじゃないからね。
それは、「きっかけ」にしか過ぎないって、生きていたら分かるんだけどね。
誰かとケンカしたり失恋したり、まあ、ワタシみたいに離婚したり、愛する誰かを亡くしたり。
人生なんて、そんなことの連続。
幸せすぎて不安になると言う人だっているんだよ。
一番の不幸は、誰かを妬んだり、誰かを嫌いになったり、誰かを恨んだりすること。
そう思う原因は、向こうにあるって思っていませんか?
そういうこともあるかもしれない。
でも、日常的に起きるそういうことは、もしかしたら、自分が蒔いた種から生まれたものかもしれません。
そう思って、自分に非がないか考えてみる。
そうしているうちに、答えがみつかり、あれがダメだったのかも?と思うだけで、その相手との距離は狭まっているのだと思うよ。
やってみて。
もし、嫌いとか、批判したい相手がいるなら。
見つからないこともある。
ある。
そういう時は、その人から遠ざかる。
または、積極的に知ろうとすればよい。
または、その人は「いない」と思う。
つまり、否定的な気持ちから遠ざかることが、好転するきっかけになると思う。
そういう対象者がいる。
うまくいっていたことが頓挫した。
誰かに裏切られた。
あれやこれや。
それって、それが終了地点じゃない。
それって、通過点だから。
次に行くべきアナタの道の「道しるべ」にすぎないから。
この道で良かったかどうかなんて、この人生が終わるときにしか分からない。
だからね、私は「ぽっくり」なんて逝きたくない。
少し考える時間がほしいと思うのです。
人との出会いも、嫌なことや辛いことの経験も、すべてが私へのメッセージと思って生きて来た。
物事は、考え方次第で好転します。
本当に。
長い話に付き合ってくださってありがとうございます。
今日もいい日でありますように![]()
