京都の後は東京に移動しましたが
大好きなペニンシュラ、桜尽くしでした♡
先月から楽しみにしてたんだ♡
お部屋に用意してくれてるスイーツも桜♡
鶴も桜模様♡
お土産のお菓子も桜ポップコーン♡
コースターも桜。
ボールペンも桜♡
今使ってるモレスキン桜エディションとぴったり😍
講座の後、少し時間があったのでシャンパンでも飲もうかなと
ロビーラウンジに寄ったのですが、桜アフタヌーンティの予約でいっぱいでした。
私は何に心が動くのかなぁ?と想うと、やっぱり「移ろい」とか「変化するもの」
「一瞬しかないもの」だなって思います。
それはやっぱり動いているから、「生命」を感じるのだよね。
前に金閣寺に行った時に感じた「変な感じ」は
今回もいろんな場所で感じまして、
それは「京都」ならではの「映画のセットのような美」だなぁと。
あまりにも綺麗すぎて、出来過ぎてて。
完璧すぎて、「無」「セットされている」と感じるんですよね。
それは「意識」そのもののよう。
三島由紀夫の「金閣寺」にこんな一節があります。
完全な静止、完全な無音であった。
そこには流れるもの、うつろうものが何もなかった。
金閣は、音楽の怖ろしい休止のように、鳴り響く沈黙のように、そこに存在し屹立していたのである。
金閣と私の関係は絶たれたんだと私は考えた。
これで私と金閣が同じ世界に住んでいるという夢想は崩れた。
(引用)
金閣寺の美に取り憑かれた青年僧が、戦争で金閣が焼けてしまうことを想像するときは金閣と自分が同じ「時」を生きていると感じて、金閣寺は生きる希望になるのに、焼けることなく終戦を迎えて、絶望した時の一節です。
(のちに青年僧は金閣寺に放火してしまいます)
美しい動かないものを見て
「生きている世界の次元が違う」と感じることは
自分の比べようもなく儚い「生」を直視するような、確かにそんな気持ちになるのでしょうね。
だから「変な感じ」がしたのだなぁ。
「映画のセットのよう」で、「命」がないような、そもそもそういう次元で存在していないような。
私ってなんだろう?という永遠に正解のない問いが
際立ってしまうような気がしますね!笑
他の鳥が空間を飛ぶのに、この金の鳳凰はかがやく翼をあげて、永遠に時の中を飛んでいるのだ。
飛んでいるためには、鳳凰はただ不動の姿で、眼を怒らせ、翼を高くかかげ、尾羽根をひるがえし、いかめしい金色の双の脚をしっかと踏ん張っていればよかったのだ。
(引用)
設定変更の、「今ここ」と同じだなぁ。「意識」の象徴のよう!
うつろう命だけど、永遠にある。
私たちは彷徨わず、一瞬一瞬を大切に愛しながら、
今、ここで、しっかと踏ん張っていれば良い♡
まさかの般若心経❤︎「設定変更」「ご自愛」のキモ!無意識の95%を使いこなす☆”
そもそも永遠と儚さ、どっちもあるのが私たちなのだから。
うつろうものの美しさを感じる時には
私たちの命もこんなにも美しいという自負もありますね![]()
ペニンシュラ東京、中でも、近くの外(皇居周辺)でもお花見できます♡
本当に可愛いから寄って見て♡




















