
「喪の途上にて」の著者である野田正彰氏のあとがきにある言葉です。
この本を読むと、病いに臥せって家族に見守られながら“個人的に”亡くなることができるのは、どれほどありがたいことなのか、ということをついつい感じてしまいます。
精神科医である著者が、御巣鷹山に墜落した日航機墜落事故で家族を亡くした方々の声にならない声をつむいだ一冊です。
「なんでもない暮らし」「ありふれた日常」をおくっていた家族が、ある日突然、地獄に落とされる…。
この本を読んでいてずっと感じてしまうのは、
(こんな理不尽なことってあるの?)
ということ。
遺族たちは肉親を亡くしたその直後に、「完全遺体」と「部分遺体」という言葉と直面させられます。
亡くなった家族の遺体にすがって泣く前に、「遺体のかけら」をさがし求めて,何日もかけて人体の肉片が入った棺と棺の間をさまようことを余儀なくされました。
「虫も殺せなかった」という普通のヒトが、です。
お腹に子どもがいるのにご主人がなくなった方…
奥さんと子ども,全員が亡くなった方…
息子夫婦と孫が亡くなった方…
さまざまな家庭が一瞬にして粉々になってしまう。
そうして遺された遺族たちに、追い打ちをかけるようにして、
「賠償金は,これ以上どうこう言ってもあがりませんよ」
「JALでよかったですよ。大韓航空だったら200万そこそこですよ」
などという賠償金をめぐる言葉が投げつけられ…
しかも近所の人から、こんな言葉も!
「大丈夫?…でもうちの主人なんて稼ぎが悪いから,いっそ航空機でいってくれたら」
「いいわね、車、さっと買えて」
それに加えて,連日押し寄せるマスコミたち。
『現地でマスコミがザーッと寄ってきて、カメラでバチバチ撮りながら、どんな気持ちかとマイクを突きつける』
『気が付くと,窓を開けてテレビカメラを突っ込み、ジーッと家の中を撮っている。驚いて窓を閉め,鍵をかけた。以後、窓を開けることができず,クーラーのない日が続いた』
さらに驚くのは、遺族のところに届く手紙や電話。
『私に信仰心がなかったので、こんな不幸がおきた、このままでは成仏できないという話.断っても,何度も押し掛けてくるのに苦しめられた』
『長いこと会っていない同級生がお悔やみに来てくれたと思うと、新興宗教の勧誘だった』
『お墓ひとつ立てるにも、密に群がる蟻のようにいろんな所から案内が来た。寄付をしろという手紙もいっぱい来た』
『毎晩男の声で「みちこ、みちこ」と呼ぶ電話もあった』
『髑髏マークの手紙とか,庭に爆竹を投げ込まれたり。警察に言っても何もしてくれない。主人の木刀を側に置いて寝ていた』
これらはすべて、加害者ではなく、被害者遺族の身に起こったこと。
この事故では、後追い自殺をされた方も、立ち直ることなどできずに体調を崩し、“ゆるやかな自死”に向かっていった方もいるとのことです。
事故後、何年もして、遺された家族が別れ、解体してしまったこともあるそうで…。
これらを地獄と呼ばずして、何というのでしょうか。
この本を読み終えて後の,結びの言葉など見つかりません。
『この作品が、これから死別の悲しみに打ち沈む人々に撮っての自己理解の本になることを、心から望む』
と、著者はあとがきに記しています。
この本は遺族の抗議レポートではなく、病者の悲哀につきあってきた精神科医としての著者が、悲しみの変容に寄り添う調査記録としての役割を担っています。
1985年8月12日に起きたこの事故の本を、30年近くの時を経た同じ季節に手に取ったご縁を忘れないように。合掌。