こんにちは。
マインドコーチ&「居待月」という居酒屋を運営しております丸山伸予です。
今日もこのブログを開いてくださり、ありがとうございます。
今日の記事は、過去記事を加筆修正しています。
禅宗の僧侶が、修行のために施しを集める托鉢(たくはつ)をご存じでしょうか。
僧侶が施しを受けるために、道端や一軒一軒のお宅をまわるという修行のひとつです。
実は、この托鉢には深い意味が隠されているのです。
お釈迦様が弟子たちに話したとされる逸話です。
お釈迦様が、施しを受けに家々にをまわりなさいと弟子たちに言ったとき、一人の弟子が聞きました。
「お釈迦様、施しをたくさん受けるためには、お金持ちの家を回ればいいのでしょうか?」と。
すると、お釈迦様は
「いえ。施しを受けに行くのは、貧しい家からにしなさい」と、お答えになりました。
弟子が「それはなぜですか?」と問うと、
「貧しい家の者たちは、自分たちが施されるのが当たり前と思っているのです。
だからこそ、貧しい家の者たちから施しを受けるのです。」と。
つまり、お金があるから豊かなのではなく、施しをするという気持ち(在り方)が人を豊かにするのだというのです。
お金はエネルギーです。
ですから、循環してこそ価値があるわけです。
たとえば、今日食べるものがパン一切れしかないとして、隣に飢えている子供がいたら、自分のパンを分け与えられるでしょうか?
でも、もし何もせず、飢えている子供が死んでしまったら、きっと「あのとき、パンを分けてあげればよかった」と思わないでしょうか?
お金は単なる記号です。
ひとたび世界大戦が勃発したら、紙幣はただの紙切れになってしまうでしょう。
私は今まで不思議なことに、本当に必要なお金はちゃんと与えられてきました。
きっと、「与えられる」と信じていることもありますが、たぶんお金に執着していないからなのでは?と思っています。
上記のお釈迦様のお話、なかなか深いな~と思いませんか?
お金は執着するものではないということが、よくわかるお話ですよね。
