2018年8月10日

 

“責任の取りすぎと責任の取らなすぎ”という言葉があります。人と自分の境界線にかかわる言葉です。境界線が溶けている人は、自分と人との違いがわからない。ここまでは自分の責任、ここから先は相手の責任というはっきりした境界線が感覚的に理解できない。自分で責任を取れるのは自分のことだけです。子どもの責任も 親の責任も パートナーの責任も取ってあげることはできません。自分がすることの責任しか取れない。自分の人生の責任しか、人は取れない。

 

それを何だか人の責任まで取ろうとする人がいるのです。境界線が溶けている人です。子どもの責任を取ろうとしたり。…アルコール依存症のパートナーのお酒を隠したり、「もうお酒は飲まないでって言ってるのに、どうして言うことを聞いてくれないの」と相手を責めたり。パートナーのすることは本人が決めて、本人が責任を取るしかできないんだけど、人のことをどうにかしようとするのですね。他者が自分のシャドーに触れたときに、そうならないように、他者を変えようとするのです。他者を手放せない。他者の責任まで取ろうとする。他者がそれ以上大変なことにならないように、手を出さずにはいられない。

 

“自分の責任を取る”とは、したいことをすることです。“自分の行動は自分がやりたくてやっている”という意識をもっていること。したくないことはしないということ。「どうしてそれをやったの?」と誰かに聞かれたら、「そうしたかったからです。」と言える。“責任の取らなすぎ”とは何かというと、「やらないといけないから、やりたくないけど我慢してやってます。」というようなことです。やりたくないと思いながらやる。自分の行動を誰かのせいにしてるのですね。“しなければいけない”とか“するべき”とかって思ってやること。それと“人のためにやる”ということです。責任を人に転嫁する。人のために何かをすることは、良いことと一般的にはされていますが、逆です。人のために何かをすることは、その人を傷つけることと私は感じています。その人の尊厳を奪うことと感じます。「自分がしたくて選んでやった」と言えない状況が、責任の取らなすぎです。

 

“責任の取りすぎと責任の取らなすぎ”で生きていると、それはしんどいですよ。自分を生きていない。やらされている、嘘の自分を生きている感じになります。

 

人のために何かをすることは、責任をその人に押し付けていることです。自分でその責任を取る気がない。人と自分を不幸にする考え方と私は思います。不幸集めですね。

 

自分の責任で行うとは「私がやりたくてやりました。」だから「したくてしたことだから、相手がどう思おうと関係ない」と言えること。「相手が怒ろうと 相手から責められようと受け入れます。」ということ。「あなたのためになんかやってない。自分のためです。」と言える。「だってやりたくてやったんだもん!」と開き直れること。

 

自分がすることを人ためと責任転嫁する人は「あなたのためにやってあげたのに」なんて言える人です。「誰かのためにやった」という思いは人を傷つける。私はそう感じます。

 

だから「私がやりたくてやっている」という思いが大事。

 

人のために何かをやる人は、やっぱり… 不幸になりたい人のように感じます。

 

 

 

読んでくれて、どうもありがと♡