2018年1月3日
アドバイスにいら立つ。アドバイスされると腹が立って腹が立ってどうしようもなくなる。アドバイスしてくる相手を心の中で批判しまくる。私が抱える課題。アドバイスしてくる相手に寛容になれない。怒りが爆発する。「おまえがみんなを不幸にしている、わかってるのか!」と叫んでしまう。私が怒る理由は私にある。何度も取り組んでいる課題。いまだに昇華できない。
幼いころ、親にアドバイスをされて傷ついたのでしょう。傷ついたのに何も言えなくて、親の期待に応えて、そのアドバイスが役に立ったように振舞っていた。本当はそのアドバイスは何の役にも立たず、私の生きる力を奪っただけだったのに…。その“本当の私の思い”は親には気づかせずに、完璧に親をだましていた。親は役に立つアドバイスができたと満足気だった。不毛だ… ばかばかしい。そんな気分でその場をやり過ごしていた。
私はただ 親に気に入られたかった… 可哀想な私。親に愛されるためには何もかも犠牲にしなければいけない。親に嫌われないために、本当の思いは封じ込める。そんなの当たり前。自分の本当の思いや傷つきは、価値のないものだったから。当時の私にとって。何も気づかず、だまされていい気分になっている親をバカだと思っていた。可哀想… 私。子どもにとって世界そのものである親と信頼で結ばれることを知らないのだから。こんな歪んだ見かたでしか世界を捉えられないなんて、可哀想。
「申し訳ないですが、そんなアドバイスは役に立ちません。私の幸せにためじゃないですよね、いいことが言いたいだけですよね。あなたたちに有用な考えが浮かぶとは思い難いので黙っててもらえますか。」と今なら本当の思いを言えるのに。
歪んでいたのは私。最初は親の不安定さに寄り添ったのかもしれない。でも私がやりたかったのは、簡単にだまされる親をバカにすること。自分の本当の思いを軽んじて、それを隠して、だまされる相手を見下したかった。世界を見下してバカにしたかった。自分の本当の思いを言う勇気もないくせに。自分の本当の思いを出したら、見下されてバカにされる。それが何より怖かったくせに。
本当の私の思いを出したら、見下されてバカにされる。私はそう思っている。見下されればいいし、バカにされればいいのに。それが怖くてできないことが問題。一体何が怖いのか。見下されて当然、バカにされて当然、私は元からそういう存在なはず。見下されたら何が起こるというのか。尊敬されることもあるし、バカにされることもある。そんなことどっちもあって当然なのに。
見下される自分は受け入れられない?見下されたらいたたまれなくて壊れちゃう?見下されても何も変わらないし、大丈夫。ちょっと苦しくなってわんわん泣くくらいじゃない。「バカにされるのは、苦しいよ」って。
私は「バカにされると苦しいよー」が言いたくて、でも言えなくてアドバイスしてくる相手を許せなかったのか。
本当の思いを伝えあうことができたら、こんなに苦しまなくてよかったのだと思う。本当の思いを伝えあうことができる親子なら、幸せな未来が築けたと思う。本当の思いを伝えあう世界をみんなで作れたらいいのに。
本当の思いを伝えたとき、親にバカにされたのだろう。否定されたのだろう。「そんなのおかしい」とか「そんなふうに考えるな。もっとこういう風に考えなさい」とか「おまえはバカか」とか。本当の思いはいつも「それでいい。そのあなたでいい」と言ってもらえなかった。そして本当の思いを伝えるのはもうやめようと決意したのだ、幼い私は。記憶もないくらい幼いころに、無意識に封じ込めた。
他者が言ったこと、やったことに対して「それでいい、そのあなたでいい」と思ってあげられることが自分を幸せにすることだと思ってきた。そして結果的に人も幸せにすることだと。配偶者や子どもが言ったことややったことに「それでいい。そのあなたでいい」と本気で思ってあげられる自分になりたいと思って生きてきた。そう思えないときは、ギフトが届いている。課題というギフト。より幸せになるためのヒントが届けられている。「それでいい」とは思えず、アドバイスしてくる相手を責めまくってしまう。「何故だ。何故だ。どうして責めることをやめられないんだ。どうしていつまでも変われないだ!」と頭をポカポカ殴っていた。
「本当の思いが言えないよー。バカにされるのは怖いよー。」を心の中で唱えてみよう。可哀想な自分を感じてみる。歪みの中でしか生きられなかった可哀想な自分を相手に重ねてみる。「おまえはバカか」と父に言われて我を失った… 何もかも落ちてなくなった気がした。それまで築いてきたものすべてが間違っていた。父は簡単に人を否定する。同じことを言われたら怒り狂うくせに。私は不幸な家庭で育った。機能不全家族。普通の家族だ。何度も何度も心は壊れた。親の簡単な否定で。
「それでいい、そのあなたでいい」というのは、同意や同調ではありません。「私も同じ思いです」ではないのです。別々の心をもった、別々の人間として肯定する。私とあなたは違う。違う存在として私とは違う思いをもったあなたを「それでいいと思う」と感じる。私とは違う。その上で「あなたはそれでいいと思う」なのです。私の両親はこれが理解できなかった。自分が正しいと思うことは、私にとっても正しいはずだと信じて疑わない人たちでした。人を責めるというのは「あなたは間違ってますよ」と相手に伝えることです。否定するのも同じです。自分の“正しいや良い悪い”が他者のそれと同じはずと考えることを境界線が溶けているといいます。自分と他者の境界がなく、みんなにとって同じ“正しいや良い悪い”が存在すると信じている方がいらっしゃいます。このような人は簡単に人を責めます。両親は自分の正しさと私の正しさが同じはずと思い込んでいました。だから「おまえは間違っている」が言えるのです。「おまえはバカか」「おまえはおかしい」「それでいいと思っているのか」「そんなことでどうするの」と両親は私に言い続けました。私の心は壊れたけど、両親にとっては必要なことでした。自分に自信がない人は、その不安を紛らわすことがどうしても必要です。“自分に自信がない”を変えようとしない両親でした。
読んでくれて、どうもありがと♡