2017年10月15日
私が望むことは、仲間と出逢うことです。親との関係の中で傷ついた痛みに向き合って“このままの自分でいい”と思えるようになった。そして世界は一変した。価値観が逆転してしまった。一般の社会で“良い”とされていることが、あまり幸せにつながらないことで、“悪い”とされていることが、どんどんやった方がいいことになった。周りの人たちと価値観がずれていく…。ようはバランスの問題なのだけど、その頃の私には一般社会の価値観が激しく偏っているように見えて、実際には私の価値観がそれ以上に偏っていた。そういうことだったと思う。
私の回復を支えてくれた自助グループの仲間とは、私の未熟さから一緒にいられなくなった。“自分と他者との境界”を越えてくる仲間と共にいることが、苦痛になってしまった。“自分と他者との境界線”この境界線という考えは、私がゆずれないもののひとつです。あなたと私は別々の心をもった別の存在。あなたがすることはあなたが決める。そして私がすることは私が決める。“良い”も“悪い”もそれぞれ違う。あなたはあなた。私は私。その境界線を大切に守る、それがみんなが幸せに穏やかに暮らす方法と今でも少し感じています。アドバイスしてくる人、価値観を押しつけてくる人、人の問題なのに解決しようとする人からは、逃げたいと思う。その人には、その人の問題を自分で解決する力がある。その人の答えは、その人にしかわからない。だから、それを待ちたい。これらは私の好みです。だから、この考えを人に押し付ける気はない。苦痛に耐えられなくなって、自助グループの仲間たちと黙って離れることしかできませんでした。そう感じるのは私が未熟だからと思っています。
求めてもいないアドバイスを親にされて、私は怒り傷ついたのでしょう。うちの両親は「人の気持ちを考えなさい。」と私によく言ってきた。幼少期、大好きなお父さん、お母さんに、ただ気持ちをわかってほしかった。私の気持ちを、一番に大切にしてほしかった。なのに、「おまえが悪い」とダメ出しされて、「○○すればよかったのよ。どうしてそれくらいのこともわからないの」とたしなめられたのでしょう。「ただ気持ちをわかってほしかった。大好きなお父さんお母さんに、私の気持ちを一番に大切にしてほしかった。なのに、他の子のほうが大事なの!お父さんもお母さんも私より他の子の気持ちのほうを大事にするの!ひどいよ、お父さんもお母さんも大嫌い!私だけを大切にしてほしかったのに。」というような傷ついた体験が私の中にあるのでしょう。そしてそのとき、自分の大切な思いを表現することができなかった。嫌われることが怖くて何も言えなかった。自分の大切な思いを自分で封じ込めたことが、傷をさらに深くしたのでしょう。はっきりとした記憶がある訳じゃない。心の痛みや自分がやってきたパターンから想像するとおそらくこんな経験があるんじゃないかと感じるのです。まだその傷と向き合えてないからアドバイスされると激しい怒りが湧く。幼いころ、傷ついたときに感じた『大切な自分の本当の思い』と『耐え難い激しい痛み』に辿り着いたとき、アドバイスをされても怒りは湧かなくなるのでしょう。
親切心からのアドバイスを受け入れられれば、自助グループの仲間と共にいられたと思います。でもできませんでした。
ひとりぼっちになって、やっぱり寂しかった。幸せだったけど、ある程度近い価値観をもった人たちと出会いたい。そう強く思って生きてきました。このブログを通して仲間と出会えたらいいなと感じています。私自身がもっと成長して、アドバイスに愛を感じられるようになれば、きっと仲間と出逢えると信じています。私が変わればいい、たぶんそれだけ。
読んでくれて、どうもありがと♡