九八さん、今日も大切なお示しをありがとうございます。

イタリアから北海道へ移住して1年が過ぎました。この1年、「記憶」を大切にして取り扱えば、その思い出は山あり 谷ありのように思えます。でも、「事実、実物」に従うと、「何もはっきりせず、山や谷などあったのか?」と気づかされます。

昔から、思い込み、想像力、好奇心が人一倍強かった私は、煩悩に溢れる生活を送っていました。そして探求心をもって掘り下げることこそが、人間として発展していくことだ❗と信じきっていたのです。

九八塾、ゆみ塾に入り、声聞していくうちに、自分がいかに「思考人間」であり、何事も理解せねばダメなんだ❗と思い込んでいたかに気づかされ。

この一年、苦手なことが次々訪れてきて、正直「どうしよう😖💧」とか「なんで私ばっかりにこんなこと起こるのか?」と一瞬嘆く機会も多々ありました。しかし「実相」に触れていたお陰で、思えても手放すことをいつのまにかしていて、延々とそれらの思いにとらわれることなく過ごしてきました。

それでも「思考」とはしぶといもので、色んな有事が起こると、ついつい前後くっつけて考えてしまうこともありました。

そして今年初めに、久々に声聞会に参加してから、「自他のない有り様」に気づかされました。

つい先日も、固定資産税支払いについて、昨年この家に住んでいた叔父叔母に連絡とる機会があり。私の理解不足で、叔父も払う義務があるようだと彼に聞いた途端、怒ったようです。そして彼の弁護士を通して、強い口調で私を非難する手紙が届きました。

それを母に読み上げると、「たかが、払う義務あるのでは?と間違って尋ねたからと言って、そこまで人を下げずんで言うとは酷すぎる❗それも弁護士まで一緒になって感情的に!」と、母も怒りが沸いていました。

でも私は不思議と怒りが沸かなかったんです。母にも「私が叔父に尋ねた言い方が、不明瞭であって、誤解を招いたのかもしれない」と冷静に落ち着いて言っていました。

そして翌日きちんと税金を支払いに行き、叔父に反論する気も起きませんでした。

1月までは、「損得」や「犠牲者になりたくない」と言う意識が、すぐに出てきていました。でも自他のない有り様を、声聞会後に実感して以来、そういう思いが出にくくなっています。そして出ても本当に長引きません。

今日のブログでのお寺の鐘のお話。本当にそうですね。

「事実はゴーンと今、一如同時に宇宙に生じたのですよ。そして離れて、後あり、先あり、繋がりなしと言う永遠の法性活動なのです。こちらもあちらもないのです。....人間的な小さく狭い活動ではないのです」
そして


「宇宙より大きな活動がある事実に証明されて、自覚が生じる...」


本当にその通りだと実感します。🙏


この一大事に気づかせていただき、感謝しかありません。


そしてこの類いまれなるご縁を大切にしていきます。

今日もお読みいただき、ありがとうございました。