皆さん、こんにちは!(^^)
ご無沙汰しておりました。
日々、目の前の事をしていたら、いつの間にか時が経っていました...(゚∀゚)!

ラーメンって、たまに食べると、やっぱり美味しいわ(^q^)。
ブログをご無沙汰していましたが、その間、九八さん、東原ゆみさん、そして九八、ゆみ塾の皆さんのブログを読ませていただき、じ~ん!とする日々を過ごしていました。💧 皆さん、本当にありがとうございます🙏。
昨日、夕食後、トイレに行きました。扉を締め、便座に座った途端、不思議な感覚が襲ってきました(゚∀゚)!
さっきまで話していた、夫や娘たちが、目の前に誰もいない!
そして、彼らの声も、騒音も聞こえない。夫や子供は、果たして この扉を開けたら、本当に存在するのか?
私の目の前には、扉が見える。でもここに座ってるのは誰?これが「私」なの?
ところで、今日の昼、電話で話した北海道の母って、今実在するんだろうか?
などなど、不思議な思いが次々に湧いてきて….。
そして これらの思いが、その思えた瞬間に、何一つ実態を伴わないと言うことに,はたと気付かされたんです(゚∀゚)!
あるともないとも言えない...、なん何だこれは?
そして、今日の 九八さんのブログを読んで、気づきが。
「法身」として働いている様子だという、「事実」を自覚する。
そして、
「総てのことが自分の中で起きている事だ」と捉える、仮の工夫の在り様。
この言葉が、素直に入ってきました
。
自他がない、とはこういうことなんだ、と実感。
求めることでも、考えでやることでもまったくないんですね。
世の中のことに、ふと目を向けると、ワサワサと揺れ動いているのも感じられます。
でも、事実に気付け、それが観えたら、そんな騒ぎも、何も問題にならないという....💧。
ただ、有り難さのみが湧いてきます。
今日も、お読みいただき、ありがとうございます🙏。




