5月14日に父親、6月21日に母親が亡くなりました。アメブロで介護のことを書こうとしたのですが、いつしか看取りのブログ内容となってしまいました。
両親が亡くなったというのは、特別な哀しさと寂しさがあります。
普通に生活をしているなかでも思い出して涙してしまうことが増えてしまいました。
涙もろくなったというか、少しでも辛いことを聞いたりすると、直ぐに泣いてしまう自分が居ます。
両親が亡くなってしまったという経験がある人じゃなければ理解できない感情なのかもしれません。
私も昔は理解できなかった悲しさと寂しさです。
短い期間に両親が亡くなったので、この広い家が余計に寂しくなりますし。窓から吹き込む静かな風に揺れるカーテンを見ていると、寂しくなってきますし、まだ父親か母親が居るのではないかと思うことがあります。
両親が亡くなった寂しさというのは特別な感情があります。
それは、きっと自分が父親と母親がいたからこの世に生まれてきたからです。
そして、育てられて今まで生きてくることができたからです。
両親が亡くなったという本当の意味は、この世の中で自分のことを本当に愛してくれて、理解してくれて、信じてくれた人が居なくなったということです。だから、寂しいのかもしれません。
結婚していても、どんなに仲の良い親友が居ても、本当の愛とか信頼とかは築けないんじゃないだろうかと思ってしまうこともあります。むしろ結婚して、夫婦となって、夫婦の絆が強いというのは、尊敬します。
血が繋がってないところでの本当の信頼というのは、人が生きていくうえでとても大切だと思います。
両親が亡くなった後も、今までつながりのあった人から連絡がはいったり、手紙が届いたりします。父親に限っては、同窓会の案内が届いてましたので、きちんとお返事を書こうと考えてます。
両親が亡くなって思ったことは、これで良かったのかどうか?
うちの両親は、特別なにか大きなことを成し遂げた訳ではありませんが、会社、仕事関係の人達には必要とされていたようです。
今なら判るのですが、自分が歳をとっていきながら、老後のことや将来のことを考えようと思っても、忙しい日々に追われてしまって、老後や将来のことや夢や希望などよりも、その日の出来事や辛いこと、大変なことを乗り切って、自分の子供たちを育てて、そして必死で生きていくだけで精一杯だったのかもしれません。
気が付けば体力が落ちてるし、病気になりやすくなるし、意外とそれが普通のことなんだろうと、最近になって判るようになってきました。
両親2人共、昭和18年生まれ、75歳でしたから、平均寿命より少し早いと言われることが多いですが、私もそのように思いますが、2019年が寿命のタイミングだったのだろうと考えるようにしてます。
両親が亡くなってから、色々と整理しなければならなくて、口座の中身を見たりすることもあります。自分の子供に口座にどれくらいお金を入っているのかなんて生きてるときには、話すこともなかったから、口座の中身はあまり見ないように気をつかったりして、親としての威厳とか、尊厳みたいなものを残しておきたいと考えたりしてます。
明日からは10月です
がんばります