皆さまこんにちは。現代レイキヒーリングマスター声葉(otoha)です。

阪神大震災から22年。

当時、私は実家の広島に住んでいました。

早朝、地震で飛び起きました。すぐにテレビをつけ、震源地を確認しました。

震源地は兵庫県。震度の大きさに驚きました。
最初はそんなに大規模な被害が出ているとは報道されていなかったので

当日、神戸に出張することになっていた父は、とりあえず駅に行ってくると家を出ました。

テレビをつけたまま、ずっとニュースを見続けていた私は、どんどん具体的な被害が映し出されるにつれ、あまりの被害に言葉が出ませんでした。

しばらくすると、父が駅から戻ってきました。

とても出張どころではない。新幹線の橋桁が倒れているんだと。

そしてテレビでもその映像が流れ始め、私は当時婚約していた主人に急いで電話をしました。

主人は当時、神戸市東灘区の独身寮に住んでいました。
幸いだったのが、その時期、仕事でしばらく京都に滞在している時期だったのです。

電話はつながりませんでした。恐らく回線がパンクしていたのだと思います。
不安でしたが、どうしようもできないのでモヤモヤしたまま仕事に言ったことを覚えています。

夜になり、ようやく電話がつながり、無事であること、独身寮もつぶれていないこと、ただ周りの住宅が倒壊し、寮の人間で倒壊した家から住民を助け出したようだ等と聞きました。

次の日、主人は、独身寮のガラスは全て割れていると聞いたらしく、火事場泥棒に入られては…と、列車で行けるところまで移動し、後は何駅も歩いて独身寮に戻りました。

部屋は、冷蔵庫やベッドやテレビが全て中央に集まり、ガラスが散乱して、靴のままでないと上がれない状態だったそうです。

途中で電話をもらいましたが、電話の向こうでサイレンが鳴り響き、これは現実なんだと思い知らされました。

当日、神戸に出張予定だった父。もし地震の時間がもう少し遅かったら…

当日、被害の大きかった東灘区の独身寮に住んでいた主人。ベッドにガラスが突き刺さっていたとのことでした。
もし京都の仕事がなかったら…

二人ともギリギリのところで難を逃れました。
本当に「与えられた命」ということに対して深く深く考えさせられました。


22年経った今でも、見慣れた商店街や街並みがなくなり、風景が一変し、ブルーシートが至るところにかけられたあの光景を鮮明に覚えています。

生かされていることに感謝し、与えられた命を大切に、これからも私のできるところで、自分の使命、役割を果たしていきたいと思っています。

愛と調和と癒しのエネルギーが、必要な方に届きますように…キラキラ



本日も最後までブログを読んでいただきまして、ありがとうございました虹