昨日の続きで...


鉄炮鍛冶屋敷の裏手から直接、清学院へ入場できるようになっていました。

 

清学院(せいがくいん)

 

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1573年に開かれた修験道(しゅげんどう)の道場で、現在見る建物は、江戸時代後期に建築されたものだそうです。

 

 
左側のお堂の中には不動明王が安置されていました。
 
江戸時代後期から明治5年まで「清光堂」という寺子屋が営まれていたとのこと。
 

 

この寺小屋に通ったのが河口慧海

 

明治34(1901)年、日本人で初めてチベット・ラサに到達した人です。

 

 

河口 慧海

かわぐち えかい

1866-1945

 

堺山伏町(現 北旅籠町)生まれ。

 

25歳で黄檗宗(おうばくしゅう)の僧侶となりました。



漢訳仏典の限界を感じ、梵語(サンスクリット)原典とチベット語訳を得る必要があると感じて、

明治30年に厳重な鎖国体制下のチベットを目指したそうです。

 

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ネパールを経て、ヒマラヤの峠を越えてチベット西部に入り、チベットの都ラサに日本人として初めて到達したそうですびっくり

 

今から120年以上前、想像もできないですが、すごい旅路だったでしょう。

 

標高の高いヒマラヤ山脈越え、現代でも非常に厳しいと思います。

 

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ラサの標高を調べると、標高4200mですってびっくり

 

今は飛行機や列車、車で行けますが、それでもけっこうハードな旅ですよね。

 

ネパールの首都カトマンズで標高1400m。

 

私はネパール旅行をしたことがあります。

 

第2の都市ポカラから見たヒマラヤの山々は美しかったですラブラブ

 

6000m級の山々が連なるヒマラヤ山脈、眺めるだけなら美しいです爆  笑

 

 

話しは河口慧海に戻し...

 

ラサに到達後、日本人であることが露見しそうになり、インドへ脱出し、明治36年に帰国したそうです。

 

そして翌年、また2回目の旅立ちへ。

 

シッキムから北上。

 

チベットに入境できたのは、10年後の1914(大正3)年とのこと。

 

その後、日本へチベット語文典など大量の資料を持ち帰ったそうです。

 

 

河口慧海の書いた日記が展示されていましたびっくり

 

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所々、読める文章がありました。

 

仏典を求めて、信仰を求めてということですが、河口慧海は冒険家でもありますね。

 

清学院には河口慧海ゆかりの資料や寺子屋の教科書等の展示があります。

 

 

入場料は100円です。

鉄炮鍛冶屋敷とセットで訪ねるといいですね。

 

鉄炮鍛冶屋敷と清学院と山口家住宅の3館共通券は700円でお得ですウインク