大阪検定 勉強中のおばちゃんですニコニコ

今日は大阪空襲とその被害について、まじめにいきます。

 

 

昭和20年3月13日深夜から14日未明にかけて、

米軍機による大阪市中心部への大規模な無差別爆撃がありました。

 

B29 274機から計1733トンの焼夷弾が投下されたそうです。

 

焼夷弾とは火災を起こす爆弾。

当時の大阪は、木造の建物が多かった時代、あっという間に焼け野原になりました。

 

大阪市中心部約21平方キロの約13万6千戸が焼け、約4千人の死者が出たといわれます。

 

疎開先から、卒業式があるかもしれないと大阪へ帰ってきた児童もいたという話を聞いたことがあります。

とてもやるせない気持ちになりました。

 

大阪への空襲は1944年12月から1945年8月14日まで約50回に及びました。

 

100機以上のB29による大空襲は計8回。

3月1回、6月4回、7月2回、8月1回

 

大空襲は特に激しく、大阪府全域に壊滅的な破壊をもたらしました。

 

写真はおかりしました

鉄筋コンクリート以外の建物は焼失しています。

この写真の上部に大阪城天守らしき建物が見えます。

 

終戦前日の8月14日には、大阪城周辺にあった兵器工場を壊滅するため、

約700個の1トン爆弾を投下したそうです。

米空軍は翌日の戦争終結の情報を知りながら、あえて兵器工場を叩き潰したかったようです。

 

 

現在の大阪城公園一帯には、今も戦争遺跡が多く残っています。

 

大阪城天守は、昭和6年に再建された復興天守ですが、空襲で焼け落ちなかったのは奇跡的だったかもしれません。

 

名古屋城、和歌山城、岡山城、広島城など木造の天守は空襲で燃え尽きました。

本当に惜しいことです。

 

大阪城天守は、鉄筋コンクリートで再建されたものだったので、持ちこたえたのかもしれません。

それでも無数に落とされた焼夷弾で銅板屋根がかなり破損したようです。

 

そして天守付近に1トン爆弾が2発投下され、天守台石垣の西南角と東北角付近に命中し、被害を受けました。

(投下された日時は不明)

 

先日、大阪城公園を散策しているときに、看板を見ました。

 

 

 

確かに、石垣がずれています

 

 

大阪城天守の北側の石垣は、全体的に歪んでいます。(これは爆弾の影響かわかりませんが)

 

いずれにしても1トン爆弾が落下した場所がずれていたら、天守に命中していたことでしょう。

 

 

大阪城公園内に、

大阪国際平和センター ピースおおさか があります。

 

1991年に大阪における平和の情報発信基地として開館しました。

 

2015年に常設展の全面的なリニューアルをして、

子どもたちが大阪と戦争の関係や身近に起こった大阪空襲の事実を通して

戦争の悲惨や背景を理解し、平和を考えるような内容になりました。

 

 
こちらに大阪城公園の戦跡めぐりコースの紹介があります。
 
大阪砲兵工廠や戦跡については、また別のときに記事にしようと思います。
大阪検定に戦跡についての問題は出題されます。
 
 
東京大空襲では一晩で11万人、広島の原爆では15万人の命が落とされたと聞くと、
あらためて戦争と平和について、考えてしまいます。
 
77年前に日本であった戦争、今起こっているウクライナでの戦争、
悲しいことです。
 
平和な世の中を願います。