こんにちは、結喜です。
 
 
パートナーシップや人間関係で
よく聞く「相手は自分の鏡」とか
「自分の投影である」という話が
あるけれど
 
 
夫が私の投影(鏡)であるならば
”夫が片付けない”というのは
どんな意味があるのだろう?
 
 
これは先日のお話会でも出た質問で
私の気付きにもなったので
書いておこうと思います。
 
 
いくつかの視点でみると
 
 

私の中の“片付けられない感情”や“見たくない部分”を見せてくれている

 
例えば
 
・過去や気持ちの整理がつかない部分がある
・完璧じゃなくてもOKと、自分に許可を
出せていない
 
みたいなこと。
 
 

 

“片付けたい”という自分の欲求をハッキリさせてくれている

 

夫が片付けないことで「私は片付けたい」
という本音がより明確になっている。
 
「私はどうしたい?」とか
「私はどう在りたい?」という
 
自分軸に戻るきっかけになっている
のではないか。
 
 

 

“人は思い通りにならない”という前提を受け入れるため

 

「こうあるべき」が強くなると、
人にもそれを求めたくなることって
ありますよね。
片付ない旦那さんがいることで
 
・自分と他人は違う
・コントロールできないこともある
・他者を尊重するってどういうこと?
 
という、手放しや許容を学ぶため。
 
 

 

役に立ちたい、必要とされたい、という想いがある

 

・誰かのためになりたい

・私が居なければ相手がダメになる

・役に立つことで自分の価値を見出す

 

そのために

片付けない夫を作り出している。

 

 
そんなことが見えてきました。
 
 
今の自分が思い当たるのは
 
 
・私の中の見たくない部分がある
 
・夫をコントロールしようとしている
 
 
かもしれない…?
といったところですが
 
 
「片付けたい」の気持ちの奥や
根っこの部分を見ると
「役に立つ私」を見て欲しいから
夫が散らかすのかな?
 
 
なんて思ったりもする。
 
 
“誰かに認めて欲しくて”
片付けるのではなく
今の自分が心地いいと思える
空間を作っていきたいですよね。
 
 
もちろん、自分の大切な人には
心地よく過ごして欲しいし
安心して過ごして欲しい。
 
 
「役に立たなきゃ」ではなくて
 
私はここに居るだけで価値がある。
 
とういう前提で、
価値ある自分のために心地よい場所を作っている。
 
 
っていう方が気持ちいいですね✨
 
 




そして、片付けない夫に対して
 
 
片付いていると心地いいのは
当たり前でしょ。
だから、家は整えるのが良い。
私に合わせてよ。
 
 
という自分の想いを
無意識に押し付けて
 
 
コントロールしようとして
いたかもしれないな、と
思ったのです。
 
 
「家族それぞれ違って当たり前」
と言いながら
違うことをゆるしてない。
 
 
相手を思い通りにコントロールなんて
出来ないのが当たり前。
 
 
私は片付けない夫を見ることで
自分自身との向き合い方を
学んでいるのだと思います。
 
 
「許しと受容のワーク」を
申し込んだタイミングですので

どんな自分もゆるして、受容して、
更にしっかりした土台を
作っていきたいと思っています!

 


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