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軍拡予算
28日:参議院可決。
参院本会議で2023年度予算案の記名投票に時間をかけ、壇上で発言するれいわ新選組の山本太郎代表=2023年3月28日午後3時19分、上田幸一撮影
「牛歩」くらいで文句言ってはダメです。 昔の野党は、部屋の前で人間バリケードを張って抵抗したらしいよ。
高市もいる

「先送りできない課題、今はそれしか考えず」
早期の解散総選挙の憶測流れる中…岸田総理は明言避ける【速報】「先送りできない課題、今はそれしか考えず」早期の
142ヶ国が同日にドル決済を拒否するサンドマン作戦。
と言わずともGDP一位浮上の中国が拒否しただけでドルはガタガタ
デェ、復権。
自動車産業・産油国資本の巻き返し。
>【衝撃】欧州EV化を止めた合成燃料e-fuelについて徹底解説
【日本の凄いニュース】
2035年ガソリン車廃止・・・消えたね。
https://www.youtube.com/watch?v=pvgCVkNPs3g

何故中国は、台湾にこだわるのか。。
中国悠久四千年・・・
そりゃただのキャッチコピーw
中国は元帝国はモンゴル民族の国、
清帝国は満州民族の国と
いう異民族が長いあいだ支配してきてた
つまり中華人民共和国って1949年に建国された歴史の浅い国。

中国国旗の表してる星4つ。これの意味は
おおっきい星が、漢民族
小さな星3つは、モンゴル民族
ウイグル族
チベット族を表してる。
建国後、
内モンゴルに攻めてやウイグルチベットを併合した。
それに
旧日本と戦った王朝の末裔の中華軍は内戦に負けて台湾へ
亡命。
習近平が1つのチュー国に拘るのはそう言うこと。
だから中国四千年を語るには台湾併合しないといけない命題なのだw
今の状態は台湾が入っていないので「支那4000年の歴史」が正しい表現。
今の人民元安は米国が7,8年かけた謀略だと書いてる新聞があるよ。

内閣の最大仕事は「予算」上げること。
参議院でも、衆議院に続き28日参議院本会議「決議」
「公文書を・・・捏造文書」大臣は逃げ切った。
昭和の頃なら、首差し出しての「予算可決」。
放送法、踏みにじってきた記録公文書を総務庁は渋々認めたのに
当の本人は捏造で押し通してしまう。
奇異な事実は歴史に2度現れる。格言予感知ってて、不気味です。
コレって、戦争前夜だね。
不都合な報告書をなきものにした前例として知られているのが、
太平洋戦争突入直前の「陸軍秋丸機関」(陸軍省戦争経済研究班)の報告書
「秋丸機関」は、ヨーロッパでナチス・ドイツと英仏が交戦していた昭和14年(1939年)9月に陸軍内部に設けられた
「経済謀略機関」
秋丸中佐は主要大学の統計・経済学者や、中央省庁や南満州鉄道調査部から精鋭を集め、
政治、経済はもちろん、社会、文化から思想に至るまで、
内外の書藉や賓料を収集・分析した。
英米班、
独伊班、
日本班などの班に分かれて、それぞれ経済的な戦力や敵国となった場合の弱点を徹底的に研究した。。
宮崎・飯野町(えびの市)出自。
秋丸次郎町長と上京した折、東京駅に出迎えたのは
総理でもある岸信介。
驚きの同行者の町職員の記録がある。
此のときの研究員の青木実。
後に、資本論を刊行する大月版。
これを保持してる。
宮崎遺族会館で丸2年。
月一の資本論講座を
この青木実教授を講師に開催された。確か宮崎の共産党主催。
お恥ずかしい。昭和40年代のブログ主には、岩波版向坂逸郎本を持ち込んでてた、
休憩時間とかあり、秋丸機関のお話。できていません。
情けない。
ただ、あの当時に、秋丸次郎町長=秋丸機関、
断言するが、
宮崎に本人以外誰も知らなかったハズ。
小生も、町長御存命のとき、赴任地で何度もかの町、を仕事で廻ってるが、
無能は、無知・白痴は困る
そんな方がおられるの知らなかった。
そりゃぁそうだろう。
ご子息も、父君オシゴト知られていないぐらいだし。
NHK放映の@「秋丸機関」で知って驚いた記憶があります。
研究のリーダーは、英米班の中心だった東京大学教授の統計学者、有沢広巳(1896~1988)。有沢はマルクス経済学者で、このころ、治安維持法違反容疑で検挙されて起訴保釈中(東大は休職中)の身だったが、「科学的で客観的な調査研究」を目指した秋丸に抜擢
国全体が「戦争をする国」にまっしぐら
当代一流の経済学者を集め、主計中佐の秋丸次朗(1898~1992)が率いた
陸軍省戦争経済研究班(通称「秋丸機関」)が、昭和16年7月、陸軍上層部に「日米の国力差は20対1」と報告していた話。
もうひとつ、政府直轄の調査研究機関「総力戦研究所」の
「模擬内閣」も昭和16年の夏、「日本必敗」の予測を出している。
作家で参議院議員の猪瀬直樹著書『昭和16年夏の敗戦』によると、^^ーーーー
・
優秀な頭脳を突き合わせ、模擬内閣が8月16日の「閣議」で出した結論は
「日本必敗」。![総力戦研究所とは] 30代のエリート模擬内閣が予測した日本必敗の ...](https://msp.c.yimg.jp/images/v2/FUTi93tXq405grZVGgDqG2AoUavYICofW4nLC9RLaFwso0cFUUolwE7Fef34Eo_IyZ_MgWCLkorsOWfDc6afFBuwyxNuC3w0cPDc5o1ppZVgp2WUNYGh8H70lKDsqoc0hQMsEfBXAdfbIq8WGl4yjJfvgyYyNjYpd7So6S5eGnubX3ye5EkcK_noZ0-ZOeOnLr9m-HQUXe92PgJGjb_6gLSfRKG9hyIxyXL11gxqruC6dDyzw8SVBkAP2HowTk-ANrd42RM2GHC-0aPSIw-VaLll0jBV7VCmMVbBnGQaJqYZzNwLzcqR1HiSwGhPf2RHV7k0hRLImEVKpfOUW8z_EqjnDeLsOW_9eRBM2ZM6vtkZbi8eYgPw4dyQGbtGVWGDCOOS4rU8JNLYFO7mp1c75kKOx86VXbRJN4VM7nuLdvR0YsGzStnW9VhY5eWAOASpdnQVlmshS2uizEl3CNmcmFP0hhOKE0WV02xp8COfSD_l7ioTcaXxKR_prfyg8zBnk22oYYFpMzgha_xp7Q0LCH8_GAYLCr2CN3jXqczsDE0pdU45-VQAbrRge8kR4YCAfYjOXJV8dL2S7aheQpu3S05bAJ246SlCc6qhOztaKAqgFqMjtWHfVb8E0bEOB0evXnlTYRUXRqVS9O2I8OPzQCIczcEc5PXk193_EiUd_0xXuTSFEsiYRUql85RbzP8SOKzQmz1Tx6O4zGgtf4ZssTpOM4ukAAH3b0CtFm-CRmP3ynAd4kAre388hroESxrQQo7HzpVdtEk3hUzue4t29OHgvysOGeof8Fn3x7NP6tjNbyHvHamIDa99omDZVEAZTHr6Ek0VV9Sg6QD4CgoLWbQwXDtFLIL1LHPGsh37DRar3zfiR0BosJbbO0DC9dabeR-CDX6r03AzenpBNiNuSLPMj9gjdyGZM6nVVXVWLdiIolOv0IIe-Bi9C-JehrbC/25E3258225B925E3258225AF25E3258325AA25E3258325BC25E3258325B325E3258225B725E3258325A725E32583258325E3258325882B2021-05-062B00.34.52.jpg?errorImage=false)
「開戦後、緒戦の勝利は見込まれるが、その後は長期戦が必至で、
その負担に日本の国力は耐えられない。
戦争終末期にはソ連の参戦もあり、
敗北は避けられない」。
秋丸機関の報告書より端的に日本の敗北を予想している。
原爆投下を除き、この予想はほぼ的中した。。
この結論は8月27、28日に首相官邸で首相の近衛文麿(1891~1945)や、陸相の東條英機(1884~1948)ら政府・軍部首脳に報告された。
『昭和16年夏の敗戦』にある報告を聞いた東條の感想は、当時の指導部を覆う「空気」を表している。
「わずかにある可能性」が不合理な選択に
秋丸機関の報告書も模擬内閣の閣議決定も、
中身はすべて報告されている。
分析結果は口止めされたが、秋丸機関の報告書の内容は新聞などで報道されており、開戦が無謀なことは、東條をはじめ、政府や軍の共通認識だった。にもかかわらず10月に首相になった東條は開戦に突き進み、それを誰も止められなかった。慶応大学教授の牧野邦昭『経済学者たちの日米開戦』のなかで、無謀な選択の理由を行動経済学と社会心理学の観点から説明している。
ボルネオ・サンガサンガ油田の新油井から自噴した石油とされる写真。占領した蘭印での石油生産は順調だった(『大東亞戰爭海軍作戰寫眞記録2』国立国会図書館蔵)
「危篤状態に陥って医者を呼ぶようなもの」
海軍は艦隊決戦での勝利こそシーレーン防衛と判断し、
商船の護衛に艦艇を割こうとしなかった。
駆逐艦に護衛された日本の輸送船団とされる写真(『大東亞戰爭海軍作戰寫眞記録2』国立国会図書館蔵)
船は戦況の悪化で返還どころか追加の徴傭要求が相次ぎ、
昭和17年11月にはガダルカナル島増援のための大幅徴傭を却下された参謀本部部長の
田中新一(1893~1976)が陸軍省軍務局長と殴り合いのけんかをしたあげく、
首相官邸に乗り込んで東條を「ばか野郎」と罵倒する“事件”が起きている。
有沢は戦後に何度も「報告書は焼却された」と証言しているが、
不思議なことに焼却命令の記録は残っていない。
このように不明確なところがあるにもかかわらず、これまでの通説は、
「秋丸機関の報告書は『なかったこと』とされ、日本は無謀な太平洋戦争に突入した。
不都合な真実を握りつぶした軍部の暴走が破滅を招いた」というものだった。

海軍が「海上護衛総司令部」を置いてシーレーン防衛に本腰を入れたのはようやく昭和18年(1943年)11月になってから。
総司令部発足にあたって挨拶した軍令部総長の
永野 修身 (1880~1947)が
「ここに至って海上護衛総司令部ができるということは、病が危篤状態に陥って医者を呼ぶようなものであるかもしれない」と嘆いた通り、
時すでに遅かった。旧式艦をかき集めた護衛で米国の攻撃を止められるはずもなく、
18年度(43年度)には235万トン、19年度(44年度)には340万トンが沈められて日本の商船隊は壊滅する。。
戦後復興に尽力した秋丸機関のメンバー
秋丸機関は戦争を止めることができなかったが、有沢らメンバーは
戦後の日本復興に大きな役割を果たす。
吉田茂(1878~1967)政権の終戦直後は食糧難が深刻化。
戦時中に政府が統計数字の隠ぺい・改ざんを重ねたため、食糧の大まかな不足量すら推計できないありさまだった。
吉田は元東大教授の大内兵衛(1888~1980)に統計制度の再建を託した。
大内は弟子の学者を集め、統計法の制定や担当組織の整備を椎し進めた。
大内兵衛は向坂逸郎と社会主義協会共同創設者。
山川均
櫛田民蔵
意思に答えた。
此の一番下の、鎌倉孝雄・宇野弘蔵の弟子は下関福田党新聞発で論文読んだがご健在で何より

毎月一回二人の名の雑誌届くに、むさぼり読んだ。
「大菩薩峠」のあの大仏次郎随筆もよくて。

大内兵衛マルクス経済学者で労農派の論客として知られ、
戦前には投獄喰らってる。
戦時中から日本銀行内にあった「国民資力研究所」の所長として戦後の経済政策を研究していた。大内の弟子だった有沢はこの研究にも参加していた。
余談で
昭和50年代。何冊も名前の本。抱え込み、デェ悩んでた
産院出るのに、名まえ決まらず・・苦悩。
丁度、入手。大内兵衛。著作集。
随筆著作の「白雲幽石」のなかから、漢詩の文字から2文字。「秀」「成」
子息の大内力・鎌倉・稲村ケ崎イイ番上に、自宅訪ねました
GHQの協力もあって統計再建の基本法となる統計法は
昭和22年(1947年)5月1日、日本国憲法より2日早く施行された。
有沢は限られた資源を特定の産業に集中投入する「傾斜生産方式」の導入も主導し、
日本の復興に尽力している。
金融審の報告書問題に相前後して毎月勤労統計などの統計不正が明るみに出たのは、
どこか因縁めいている。
公文書をいまだに。己が大臣なのに、怪文書と言うう。
高市擁護。
そして、乗り切った。「軍拡」予算は成立。
対立を煽り軍拡を急ぐ岸田政権の狂気
国全体が「戦争をする国」にまっしぐら

あの時、・・・酷似・・すぎ・・・

※紙面抜粋

※2023年3月27日 日刊ゲンダイ2面


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