杉本傳 | 人間の大野裕之

人間の大野裕之

映画『福本清三 どこかで誰かが見ていてくれる』『ミュジコフィリア』『葬式の名人』『太秦ライムライト』
『チャップリンとヒトラー メディアとイメージの世界大戦』岩波書店 サントリー学芸賞受賞
日本チャップリン協会会長/劇団とっても便利

新著『デンさんのプール 杉本傳 水泳ニッポンを作った男』11月5日 小学館より出版しました!

 

大正初期の大阪・茨木中学(現・茨木高校)——そこには、生徒だった川端康成や大宅壮一と一緒にグラウンドを掘って、日本初の近代プールを作った伝説の教師がいた!

茨木高校OBである脚本家の大野裕之が、杉本傳の残した秘蔵写真に未公開資料、100人以上の親族・関係者・最後の弟子への取材などをもとに描く渾身のノンフィクション!

 

 

 

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知られざる偉人・杉本傳の伝記を書きました。母校の87期上にあたる大先輩です。そんな個人的な興味をこえて、今こそ杉本傳のことを知ってほしいと思った次第です。

彼は、日本で初めて勝手にグラウンドを掘ってプールを作り、

日本で初めてクロール泳法を導入して、1924年パリ五輪の競泳監督になり、

高石勝男(パリ五輪で日本人初の入賞)らオリンピック選手を育て上げ、

日本に飛込競技を導入し、1928年アムステルダム五輪で日本初の飛込監督になり、日本に水球を導入し、・・・とにかく、水泳の全てのジャンルでのパイオニアであり、

それだけでなく、学童の水泳教育や女子水泳教育に力を入れて、1932年ロス五輪で女子水泳の監督になり、

関西で初めてのブラスバンド部を作り、本人は能楽やヴァイオリンを嗜む文人であり・・・

そんなものすごい業績をあげたにもかかわらず、杉本傳の名前は後世に残っていません。

というのも、彼自身が、自分の名を残すことを良しとしなかったからです。例えば、自分の銅像の除幕式で、「みんなの気持ちはありがたいけど、自分だけではなくみんなで頑張ったことやから」と銅像設置を断って、自宅に持って帰ったこともあるほどです。

彼は自校だけが勝っても仕方ないと、研究の成果を惜しげもなくライヴァル校に公開し、日本の教育水準を上げるために尽くしました。結果、水泳の茨中の地位は低下していき、杉本傳の名もいつしか忘れ去られました。

でも、今こそ杉本傳のことを思い出したい。

失われた数十年の間にすっかりイノベーションマインドをなくしてしまった日本人に、破天荒なパイオニア杉本傳は多くのことを教えてくれます。

そんな思いで書きました。ぜひ多くの人に読んでほしいと願っています。

 


 

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ちなみに、wikipediaにも杉本傳の項目があるのですが、いろいろ間違えていますので、訂正されることを願います。

まず、名前の読みは「つたえ」です。「つとう」は戦後の田畑政治の誤記から始まった間違い。

生年は1890年ではなく1889年(戸籍に基づく)

戸田の「第3回全国競泳大会に初参加」はしておらず、第4回全国競泳大会に初参加で初優勝。(久敬会報の報告、茨木中学月報、井上教諭の証言、杉本傳の回想、入谷唯一郎らの日誌に基づく。『東京大学戸田寮八十年史』は誤記。)

などなど。